明日が来なければいいのに

今君に素晴らしい世界が見えますか

宝くじ20億円当選した

 

毎日仕事で嫌なことされて自分がこんなに辛くて誰もわかってくれなくてだから仕事を辞めたいでもひどいこと言われすぎてカチンときてやっぱり負けね〜って思うから今はもう鬱じゃないから仕事大丈夫だと思う

会えばどこで息継ぎしてるんだって思うくらい早口に捲し立ててそんな話ばかりするようになった同期は、もともと感情の起伏が激しくて、そこがわたしと違って見ていて楽しいから好きだった。コロコロ変わる感情をそのまま出すってどんなに気持ち良いだろうか。

普通は、とわたしは切り出す。

普通は、勤務時間中に嫌なことがあったからって病棟で泣きわめく人はいないし、同僚にブチ切れて理不尽なことや傷つくことを言う先輩はそんなに沢山いないよ。その病棟はおかしいし、あなたももとの性格よりも感情の振り幅が大きくなっているから認めたくないと思うけど心療内科に行った方がいいと思う。泣いたり怒鳴ったりするのが当たり前の環境に慣れてるだけで、普通はみんな仕事中に思ったままに爆発しないよ。辞めるって言ってるけど爆発しても許される場所を心地よいと思ってるんだよ。本当に辞める気ないよ。本当にどうにかしたいなら辞めるのか、せめて心療内科に行くべきなんだよ。

わたしは息継ぎをちゃんとしながら話す。食べかけのオムカレーから熱気が失われていく。

そうなの?と、そうなの?って1ミリも思っていない顔で聞かれるとこんなにぶん殴りたくなるんだなって人生で初めて考えたりした。

例えば、本当に仕事を辞める気がお互いにない状態であれば、同期のこのマシンガンのように止まらない職場への不満とそれに伴う起伏の激しい感情を受け止めることが出来ただろうか。

わたしは今月と来月に東京へ行く予定がある。

面接受けに行ってくるんだよね、と自分でもどんなテンションだよと思うほど落ち着いた声で話す。

へぇ〜、いいな〜。

皿の上のオムレツから目を離さずに綺麗に一口分スプーンですくってそれを口へ入れる様子を見て、あぁ今タバコがあれば良かったのにと思った。

帰りは大雨だったから、タクシーに乗って帰った。わたし達は同じアパートに住んでいるからもう話したくないなと思っても、尚もコロコロと表情や話題を変えて話す同期を横目にウンウンと頷き続けねばならない。

わたしは好きだった。まるで知らない生物を見ているかのような気持ちにさせてくれるこの子の人生を見ていたいと思っていた。もし今ここに20億円あったらこいつを救ってやれるだろうか。お金ならあるから仕事を辞めろ、そんなふうに言えたとして。

こいつは仕事を辞めるか?

辞めねえんだよなあ〜と顔面に浮き出るように願った。わたしの顔を見てほしい。今すっごく楽しくない表情をしてるのを、顔面に浮き出てるはずの文字を、見てほしい。

 

 

 

人間はたくさんいる。知っているひとより知らないひとのほうがたくさんいる。不思議なほどたくさんいる。

昨日は好きだったのに今日は好きじゃないこともあるし、今日は憎いのに明日は愛しさに変わってるかもしれないし、今月はまだ知り合ってないけど来月に知り合うかもしれないし、昨日も今日も大好きで明日も明後日も大好きでたまらない不変のものもあるかもしれない。一生交わることがないという不変もあるだろう。

できるだけたくさんの人を知りたい、と思ったことは不思議とない。だけど人生は人を知ることの連続だ。自分が選んでいるような気もするし、神様に駒を動かすように操作されているような気もする。

人生でその瞬間に深く仲良くできる人の数には決まりがあると思っていて(イメージとしては手持ちのポケモンみたいな感じです)、それは人それぞれで、例えばわたしはたぶん常時5人くらい。だから友達が少ないって言ってるけど、これ以上は人間関係の管理が出来ないので無理なのだ。1人失えば必ず新しい1人に出会う。そんなふうに優しく世界はできている。

手持ちのポケモンはみんな状況に応じて入れ替える。それは当たり前に行われることだ。違法なことではないのだから。

わたしは最初の御三家は唯一無二の相棒だから手持ちから外すことは無い。わりと序盤で捕まえたお気に入りのポケモンも四天王戦まで手持ちにずっといる。殿堂入りした後にも旅は続く。こいつだけは捕まえたいっていうポケモンマスターボールで捕獲して、ちゃっかり手持ちに入れたりするのはきっとポケモントレーナーならあるはず。

ちょっと寂しいけど、たぶんわたしの手持ちのポケモンも入れ替わりました。この間新しいポケモンマスターボールで捕まえた。マスターボールのつもりだから、ちゃんと捕まえれたって思いたい。するりとどこかに行ってしまわないように。

実は、人間にはマスターボールは効果がない。人間には関係に名前をつけることで仲良くする理由を明確にすることが効果的だ。

わたしには名前をつけるのが難しいけどね。いつか名前をつけたいし、わたしにも名前をつけてほしい。そんなんじゃ待ってる間にまた手持ちが入れ替わってしまうかもしれないけれど。もうしばらくは、手持ちでいたいんだ。

何の話だろう。

わたしの妄想かな。

夏が終わって秋が来ても、冬が来ても、そして来年の春が来ても、変わらないものってあるのだろうか。

変わらないものなんてないってあの子を見て思ったくせに。楽しい時はいつだって不変だと信じているし、不変を願う。でも今度こそは違うかもしれない、ずっと仲良くできるかもしれない、馬鹿だから何度でもそう思うよ。今度こそは。きっと。

これは妄想じゃない。

現実の話。

もうすぐ夏が終わるよ。

24歳になった

 

わたしは自分が夏生まれだから、というのを差し引いたとしても、夏がとにかくあらゆるものの中で一番好き。

花が綺麗に咲いて、痛いほどの日差しで日焼けしてみんな健康的な色になって、水が冷たいことに喜べて、生ぬるい夜が楽しくて仕方なくて、とにかく外に出て何かをしたくなるような毎日。ただ暑いというだけで、笑顔になるくらいに夏が本当に大好きだ。

 

自分の誕生日が特別な日じゃなくなったのは、高校を卒業したくらいからだろうか。誰かに祝ってもらうことがだんだん無くなって、でも大人になればある程度はそういうものなのかもしれない。

誕生日当日をどう過ごすかというよりも、何歳になったという事実の方がよっぽど大問題なのはもうずっと変わりない。

しょうもないことだと思うけど、いつまでも若く(可愛く)はいられないという事実はわたしを苦しめる。歳を重ねればその分だけ深みが出るというのは、全員に共通することではない。大抵の人は若さには勝てないのだ。

悲しいけど、28歳の友達が婚活に勤しんでいることを笑える立場じゃなくありつつあるのは、もう認めざるを得ない。

親は、結婚をした方がいいと言う。友達もみんないつか結婚することを夢見ている。そんな人たちをそういうものなのかと眺めて、ひとり置いていかれている。わたしだけずっと20歳くらいで止まっている。別に結婚しなくたって幸せでいられるし、とか、やりたいことたくさんあるし、とか。

20歳も24歳も長い人生で見たらきっとそんなに変わりはないのに。でも4年前の夏と、今年の夏はやっぱり違う。わたしの周りにいる人も違うし、わたしが人生で大切だと思うことも違うし、将来の夢も違うし、お気に入りの服も違う。うちの犬もすっかりおじいちゃんだ。

 

わたしが気にかけていた患者さんが亡くなった日に、わたしは好きでもない人と遊んでいた。こんなことしてる場合じゃないって内心めちゃくちゃ焦っていたのは本当で、その嫌な予感は見事に的中して、暫く自分を責めた。いや、二週間経ったいまでも心臓がゾワゾワする気分がある。

きっとその患者さんだって24歳の夏は、誰かが死ぬことを考えたりせずに遊んでいたはずだと自分に言い聞かせても、後悔のほうが勝ってしまう。わたしの人生はわたしだけのもので、誰かの過去や未来と比べられなくて、誰かにとっての誰かの命の重さとわたしにとってのみんなの命の重さは全然違ってみえてる。何をしていたって、誰を好きになったって、いつも死ぬとか生きるとかそういう余計なことが出てきてしまう。わたしが遊んでようが働いていようが、他人の人生にそこまで変りないのにな。馬鹿みたいだなあ。わたしにとってはみんなは尊くても、みんなにとってのわたしはそうじゃないのになあ。

わたしにとっての問題は、いつでもどこでも誰にとってもその人の1番になれないことだ。いつもその他大勢にしかなれないこと。わたしは1人でも生きていけそうに見えると思う、たぶん。1人でも生きれるとは思うけど、わたしだって誰かにとっての1番尊い命になりたい。わたしにとってのみんながそうであるように、同じ熱量で大切だと思われたい。こいつもやがて死ぬんだと思われたい。

 

馬鹿馬鹿しいね。夏だからいいんです。夏は馬鹿になる季節。夏のせいにしたらいい。

 

24歳は23歳の続きでしかないし、25歳の前章でしかない。24歳に深い意味なんてない。何歳になってしまったということはただの数字でしかなくて、言ってしまえば昨日より今日の方が年老いてるのは事実だ。そう考えると24歳という事実ではなく毎日が最悪でしかない。

だから24歳はこうなる!とかそういう目標はない。ただひとつ敢えて言うなら、もっと人からこいつもやがて死ぬんだなと思われるように生きていこうと思います。

今日もゆっくり終わるんだ

 

髪の毛を切った。誰かの好みに合わせるためじゃなく、自分の意思で切ったのはいつぶりだろう。理由なんてものは、大してない。

ロングヘアーはとても気に入っていたし、友達からは長い方が可愛い可愛いと褒められてきた。社会人になってから辛い日も楽しい日も一緒に生きてきた(実際には死んだ細胞)君たちとはお別れなんだね。今までありがとう。

 

何かを決める時、思い切りがいい方だなと思う。例えば、6年間通っていた塾は親に相談しないで辞めてしまったし、好きになった人がパチンカスでもいいやと思ったし、休みがあれば思いつきで旅行に出るし、いきなりランニングを始めても平均タイムより速く走れるように練習するし、来年東京に引っ越すことにしたし。みんな最初はわたしが冗談を言っていると思うらしい。でもわたしは冗談で大きなことを言ったことは一度もない。意外とかっこいいところあるでしょ。

わたしは運もいいけど、なかなか筋の通った生き方をしてて偉いなと自分で思うんだよね。だからそれを曲げないし負けないで生きていきたい。

 

今日から髪の毛伸ばそう。死ぬまでは髪の毛は伸びるから、またロングに戻るのを見届けて。

記憶の話

 

時々自分のInstagramの写真を見返す。

そのほとんどが一人で遊んだ時の写真で、この思い出を共有する人はいない。でもわたしの中にはちゃんとある。写真を見返すと、そういえばこんなこともあったなぁとその日に戻れる。しかし残念なことに見たものや考えたことすべての丸一日を思い出すことは出来ない。

何一つ溢れ落とすことなく、覚えていられたらいいのになぁと思う。

自分の人生の1番古い記憶ってなんだろう?

幼稚園の時のことかな。運動会とかお遊戯会で何をしたのかっていうのは、アルバムや親の撮ったビデオを見たからわかる。でもその日何があったかとかっていうのは覚えていない。思い出せるのは、ただ普通の日で、初めて男の子に泣かされた時のことだ。とてもしょうもないことを覚えているもんだなと思う。

わたしはきっと丁寧に大切に育てられてきた。今ならそういうことがわかるのだ。でも、大切にされてきた小さな頃のことは全然覚えていない。

そういう日が、きっとたくさんある。わたしは覚えていないけど、家族が、友達が、これまで関わったどこかの誰かが、しっかりと覚えていること。

なるべく忘れたくないと強く思う。長く生きればその分だけ脳からこぼれ落ちて忘れていってしまう思い出が増える。だから、できるだけ、忘れたくないことを頭の中で繰り返し繰り返し思い出す。綺麗だと思ったもの、好きだと思ったもの、楽しかった日、辛かった日、美味しかったもの、話したこと、抱いた感情。

写真に撮っておけばよかったと思うこともたくさんある。日記にしておけばよかったと思うこともある。残してなかったから、どんどん細かいことが抜けていって思い出せるものがぼんやりとしていく。あの時間は戻ってこないんだという事実を抱えて、突然死でもしなければあと60年くらい生きなくちゃいけない。今日のことだって60年後には忘れているだろう。

いつか23歳のわたしが大切だと思っている人の名前さえ忘れてしまうのかもしれない。患者さんを見ながら思う。

思い出はいつも綺麗だ。脳がそういうふうに処理をしているのかもしれない。でも覚えていることだけを綺麗にされて、ほかはどうでもいいなんて脳はちょっと冷酷すぎる。

世界五分前仮説をときどき考える。色んなことを思い出したり、その証拠の写真もあるけれど、この状態を何者かが作っていたとしたらどうしよう。わたしが大切だと思っている思い出全てが偽物だったらどうしよう。不安になる。でも職場の人はみんなわたしを知っているし、こないだした約束は守られるし、わたしと同じことをした人は同じことを覚えているから、きっと大丈夫なんだって確認をする。世界は前からあるっていう確認。

記憶だけが頼りだ。思い出はその人の歴史そのものだ。多少脚色の加えられた思い出だとしても、その人をつくりあげたものだと信じている。だから世界五分前仮説が本当だったら嫌だ。

大人になってから忘れたくないことが増えた。20代のうちに思い出をたくさん作って、そしておばあちゃんになる前に、ちゃんと今のことを覚えているうちに死んでしまいたい。もしも29歳最後の夜に死にますか?って聞かれたら、なんて答えるんだろうね。たのしみだね。そもそもそんな都合よく死ぬ事は出来ないし、近い将来にそれが許されるとも思えないけども…。例え話。

若いうちに死にたいとは言っているものの、人は突然思いがけず死ぬ弱い生き物なので、だから思い出を作る作業って大切なのだなと思う。思い出を作るっていうことは、ちゃんとその時を大切にするっていうことでもあるから。ほらあの名曲でも言ってるでしょ、なんでもないようなことが幸せだったと思うって。明日死ぬかもしれないし、来月かもしれないし、もうちょっと先かもしれない。そんなことは誰にも分からない。だから本当は特別な何かがなくても、今日も明日も大切にしなくちゃいけないんだよね本当はね。それってほぼ不可能に近いくらい難しい話だけど。

人は絶対に死ぬ。死んでから後悔しても遅いってことを知るのは、死んでからなのかもしれない。患者さんの家族を見て思ったことですが。

記憶の話から脱線して死の話になってしまった。死と記憶というのは離しがたい部分ではある。死についてはまた別の機会に書きます。こういう話に終わりはないというか、書いていてどこで切るかいつも悩むな。読んでる人がきっとどっと疲れるに違いない。もう少し新書とかを読んで話のまとめ方を学ぼう。実は今年全然本を読んでない、去年40冊くらい読んだのに〜。本のいい所って思い出にしなくていいところだよね、いつでも読み返せるから大事なところ以外はまた確認すればいいわけで、自分の脳の容量を圧迫せずに済む。音楽とか映画とかでもなんでもそうなんだろうけどね。

 

それじゃ記憶の話はおわり。

綺麗な夜をそっと盗む

オフィスの光 満天の星空がポツポツと消える頃

ひとりきりで徘徊してた 君と出会った駅は近く

闇に溶け合うように繋ぐ手は 冷え切って寂しくて

コンクリートの穴を埋めるようだった

 

 

 

いつ東京に行っても、新しい発見があって、新しい人と出会って、とても楽しいと思う。

高く高くビルがいくつも並んでいて、たくさんの人がお互いを邪魔だと思いながら(思っているのは私だけかもしれない)わざわざ人混みに集まって、1本乗り逃しても直ぐに電車は来て、無駄なことに電力を使っている、本当に不思議な場所だ。

関東に引っ越そうと決めたのは1ヶ月くらい前だった。どこに住みたいかなぁと思いながら今回は歩いたりもしてみた。どこで買い物をして、どこで普段遊ぶのかな、とか。

田舎は嫌だとかなんだとか言いつつも、こんな私だって育った街には愛着がある。東京へ行く前、空港に向かう途中電車から見下ろす育った街はとても美しいと思った。地元の人間関係がいやで、高校から地元を出た。それでも私の地元と呼べる場所はここだけなのだ。

知らないところに住むというのは、地元を捨てることではない。でも、東京には私の友達もいないし、ホームグラウンドとなる場所もない。こんなに好きでも、東京とはまだ一線を引いた関係で、例えるなら新築のモデルハウスの色や匂いだと思う(分かりにくい例えでごめんね)。

少しずつ夜から朝へと明るくなる空の下を散歩した。電気がついている部屋はあまりなかった。東京でもみんなが寝ている時間というのはあるんだと知った。だけど、真っ暗にならないし、絶対どこかで誰かが生きているという空気があるのが東京だなと思う。私が今住んでいる場所は、夜になると全員死んだのかと思うほど街が真っ暗になる。それはそれで世界の終わりのようで美しいけど、ここでは死にたくない。

何かをしようと決めた時、みんなそうだと思うけど、すごく考える。今までとは違うことをする自分の本当の理由を考える。そうして違う日々が始まることで失うかもしれないものを考える。本当は引っ越すのは怖い。知ってる人全然いないし、東京怖い人ばっかり(偏見)だし、やりたいことも定まっていないし、貯金も全然ないし。それでも引っ越しちゃうのは、今の仕事からの逃げだなあって思う。人の命を左右することをしたくない、自分の非力さに落ち込みたくない。ずるい。考えるだけで情けなくて胃が痛くなって泣けてくる。違う仕事をしてみたいのは事実だけど、結局のところは私が弱いからだ。

もうここまで話を掘り下げると、私の脳内のいろんな記憶が発掘されてきて、あーでもないこーでもないと考える。だけどひとつ宣言しておこう。私はこの仕事をしたから、今の私が形成されたという自覚はちゃんとある。むかしよりもずっと優しく明るい人間になった。やったね。

とどのつまりオメーはどうなんだよと、そろそろ読んでる人が思い始めている頃かと思いますが、私のブログはこんな感じで着地点がないんです。オチとかない。オチをつけて話をしろと教育された時もあったけど、オチのある話って一体何よ?!わたしは吉本芸人じゃないのよ?!って今ならそいつに言ってやりたい。私はオメーがいなくても明るく元気に生きられるようになった。3年もかかったよ。3年って凄いなあって思う、あの頃生まれた子は3歳だよ。3年かかってこのオチだよ(?)。

いつまでも23歳ですって言っていたいなって思ったよ。(本当は永遠の21歳がいい。)東京行く時には24歳だけど、東京デビュー遅いの笑わないでください。飽きたら出ていくから東京都民マジでみんな優しくして。

場所の問題じゃなくて、いつなのか、誰となのか、それが問題。それは何か限定的なものではなくて、人生ってそんな感じがしない?そんな感じがしたのが今回の東京旅行だった。だから元も子もないことを言ってしまえば、東京じゃなくてもいいんだと思う。逆に言えば東京でもいいってことなんだけどね。

色々思うことは沢山あって、本当はもっとごちゃごちゃ考えていた。でも文字にするのはここまでが限界だよ。誰ももう読んでなさそうだよ。もはや文字のゴミ捨て場かよ。

引っ越したら、東京を選んでよかったって思えたらいいな。

 

 

不気味なほど バランスのとれた街

君のこと 苦しめる

朝が来るなら 夜に引き止めたいよ

「またね」手を振る君  後ろ姿、ただ見ていた

夜明けの空 ビルの隙間

陽が昇れば もう会えない気がしたの

See You - またね / HoneyComeBear

https://youtu.be/uSuhG5wKJVM

楽しくないなら長生きしたって意味が無い

 

昨日Netflixで「紅き大魚の伝説」という中国アニメーションを見ました。ジブリとか新海誠とか細田守とかを混ぜた感じの作風です。つまり私の好みです。

 

今日はパソコンからではなくiPhoneから記事を書いているので、あらすじの引用とかYouTubeから動画を引っ張ってきたり、そういうのが面倒なのでありません!ごめんなさい。

 

私は開始30分後あたりから、とにかくセリフのひとつひとつに感動しちゃって、最後まで楽しめたなあと思います。とても良かったのでインターネットで検索したら、映画大好きな人達からまあまあ酷評だったので「みんなキビシイのだな…」って感じです。アニメとか映画とか全然見ない私からしたら、中国アニメってこんなにすげえの作れるのか!と驚きましたが。中国だからこそかなって思えるところもあった。

 

私がいいなと思った点は

・セリフの一つ一つが美しい

・登場人物の感情描写が丁寧で分かりやすい

・登場人物のキャラデザが最高

・能力を使える→意味のあるもので人を傷つけることに使うものはいないし能力そのものが美しい

・輪廻転生する→愛するだれかのために死を選び、輪廻転生する姿は愛するもののそばにいるための姿。これまた美しい…

 

映画という限られた時間の中では、この主人公の世界背景とか歴史を説明しきれないし、どうしても後半が話があまり進まないという印象はあるけど、でもわたしは後半についてはアレでいいと思う。だって、さかなからすれば育ての親との別れだよ?!後半の流れが悪い、感動が薄れる!なんて評価されてたけど、現実的にはこうだと思うのよ。そして別れが長引くことでなんやかんやあって、主人公のことが好きな男の子がなんやかんやなるけど、それぜーーーんぶひっくるめて「愛ってこういうものなんだな」って感動した。わたしはちょろい女なので。トントン拍子に進まないから人生だし、人生の局面でスパンッと解決するなら誰も泣かないよ。でもこの映画で大事なのは結末よりも、生きる意味とか愛とかそういう主人公以外の登場人物の人生観とそれに伴う行動だなあと思うわけです。そういうのを描くのに後半は必要だったんだ!!!

 

とにかく2019年で一番いいアニメでした。(ネトフリで公開してたのは去年)(今年のアニメ何も見てない)

 

雑な感想なのでそのうち消します🥳

興味ある方は是非!!!!