生活と思想

今君に素晴らしい世界が見えますか

どこにいるの? 君のそばにいるよ

 

26歳になった。

頑張って生きてきたよね。

ここ数日体調を崩していて、いつも辛い時は彼氏がそばに居てくれるだけでわたしは元気になれるんだけど、誕生日の前日はいろいろあってそばに居てくれなくて、最後は喧嘩しちゃった。日付が変わる前に泣きながら家を出て、泣きながら友だちと話をして、涙が涸れて家に帰った。残ったのはたくさん蚊に刺された跡だけ。帰ったら彼氏は1人でベッド占領して寝てた。

最悪の誕生日の幕開けだった。

誕生日はもともとわたしは仕事が休みだった。1人で映画を見て散歩をしてカプセルホテルに泊まった。

ごめんねとか、心配するような連絡はひとつも無い。

わたしたちは、そろそろ別れなくちゃいけないのだろうか。

こんなに大好きになって、こんなにずっと一緒にいて、わたしは彼を支えなきゃと一生懸命だったからずっとずっと彼のことを考えてきたのに。なんか、全部、無駄な時間とお金だったのかな。

そういうことが惜しい、そう思うこともあった。

でもいま別れるか別れないか、悩むのは、結局大好きであることは変わりなくて、謝ってくれないかな、嫌なところ直してくれないかな、そういう期待がまだどこかにあるからで。

叶うのなら、わたしはこのまま彼氏と死ぬまで一緒にいたいのに。神様。

こんなに傷つけられても、どんなに苦労しても、どうしてだかこの人しかいないって思っちゃう。今回こそわたしの気持ちを何一つ考えずに行動するところに腹が立って、もう、もう無理だ〜って泣きながら家を出たのに。

夜中にロールキャベツ作ったよってラインが入っていて、わたしに食べさせる気で作ったのかなあって今朝読みながら悲しくなった。ひとりぼっちにしてごめんね。でもその言葉と一緒に、帰っておいでとか言えないの?とも思う。ただそう言ってくれて、帰ったら抱きしめてくれるのなら、わたしはそれで全部ゆるせるのに。

こんなロールキャベツのことで許したらダメだ、もっと怒れ、自分。今まで傷つけられたのだから甘やかしてはダメだ。

別れたらこんなに苦しまなくて済む。

分かっているけど、でももうこんなに誰かを好きになったり幸せな気持ちになったり出来ないんじゃないかって怖いんだ。だれもわたしのことを愛してくれないんじゃないかって。

苦しんでも苦しんでも、彼氏がいてくれた方がずっと良いと思ってしまう。結局別れても、別れたなりの苦しさが絶対にあると思う。

こんなに好きなのに、こんなに苦しいなんて、こんなことおかしいよね。幸せになりたいよ。救われたいよ。助けてほしい。

最悪の誕生日翌日も1人でご飯食べて、これから夜勤。今日も彼氏の顔見ない。多分明日も見ない。こんなこと今まで無かったので実はわたしの方が辛い。大好きだから。

早く謝って迎えに来いよ!!!!!バカ!!!!!

ずっと泣いてる。こんなに泣いてる恋愛、絶対おかしい。26年生きてて今が1番おかしいです。

早く死にたい。

じんせいってさいあく

 

10代の頃難しくなかったこと、例えば夜通しアニメを見るとかマンガを読むとか。小説を読むとかゲームをするとか。どれほどそれらに時間をかけたか分からないほど夢中になれたし、確実にわたしを作り上げてくれたと思う。

でもどんどん大人になっていくにつれて、全部全部難しくなってしまった。いまのわたしには宿題も定期テストもなくて、家にいる間家事の隙間にやろうと思えばそこそこ時間はあるはずだし、夜更かしをしても怒る人だって居ないのに。今でもそれらを楽しいと感じる感覚は残っていて、嫌いになったわけではない。

好きだったものへの情熱を失ったり、好きだったジャンルの新しいものを手に取ることが億劫になること、それは悪では無いし、わたしの生活や心の持ち方の変化に伴う現象なのだと頭でわかっていても、変わらずに楽しむことができる人と自分を比較すると落ち込む。わたしだってこうなりたくてなったわけではない、と言いたいです。

時々マンガを読むと楽しいのは本当で、今でも買うものはある。でも話題になっているものを全部確認するのは無理なのだ。それだけの体力がわたしにはない。大人になるということは、全員がそうでないにしても、仕事をして帰ったら家事が待っていて、それを終えたら気持ちよくお風呂に入って、少しYouTubeとかを見たら寝る時間で。わたしは相変わらず生きているだけで毎日疲れてしまっていて、現実のことを考えるだけで精一杯だよ。わたしは今、漫画もアニメも夢中になれなくなったけど、現実の中でも美味しいご飯を作ること、可愛い食器を少しずつ集めること、色んな場所を散歩すること、BTSを見ること(これだけは現実とは違って特に癒される)、それだけでこのつまらなくて最悪の人生が救われている。

新しいことを始めたり、好きだったものを継続できる体力が無くても、自分なりに好きなものがちゃんとあって生きている。これだけで実は100点なんじゃないですか?みんな。好きな物や趣味にくだらないものなんて、無駄なものなんて、そんなものないです。

本当はいつだって死んでしまいたいって今年も思ってるよ。大人になってからたくさん泣いてる。貯金もないし仕事はいつでも辞めたいし恋人のことも不安なことばっかりだよ。この先の事考えるだけで胃が痛くなる。はやくおわりてーって思ってる。

だけど一応おとなになって良かったよ、わたしは自分が料理できるって知らなかったし、東京に住めるなんて思ってなかったし、BTSの良さを知る日が来るなんて!これが1番びっくりだ。今の自分の好きな物が無価値だとは思いたくないな。願わくば死ぬ前にジミンちゃんに会いたい…。

わたしだって出来ることなら好きだったもの全部続けたいですよ。そのうえで今好きな物も好きでありたいですよ。でも無理だったからこうなったということを、誰もわかってくれなくてもわたしだけは慰めてあげましょう。

なんだか好きな物とか趣味があんまりないって言ってる人の気持ち、分かるようになってきた今だからこそこういう話題って悲しくなる。だってみんなそうでしょ、そうなりたいわけではない。言われたくないよね、そんなの損してるとか、出来ないんだねとか、ほっといてよね。やりたくなる日が来たらやるわよ。人生の自由な時間をどう使うかなんて人の勝手じゃないの!ってね…。わざわざ腰が重いことや興味のないことを頑張る必要ないよ。わたしなんて本当はさ、料理することより何より、一番好きなのは海を見てることだよ。だめですかって泣きたくなるわ。

芸術の欠けらも無い人生ですみませんね。でも誰にも迷惑かけてないつもりだから。そっとしておいてください。

では。

人生はダイナマイト

 

とにかく新しい職場のことに悩まされ、泣いた日も暴れた日も(わたしのこれまでの人生と比較すると)たくさんあり、ストレスのせいか膀胱炎と腎盂腎炎を繰り返すなど心身ともに絶不調な2020年だった。

やりたかったことは大方やれたし、いつ死んでもいいし、なんならすぐにでも殺してくれとクリスマス終わりくらいに神様に祈ったりもした。こんなブログを更新しているあたり、そんなことは無駄な行為だったのが明らかだけど。

 

好きな音楽も聴き飽きたとき、時々Apple Musicのグローバルトップ100を聴くことがある。好きな音楽が聴き飽きるって相当生活に煮詰まってるときだよね。(ちなみにApple Musicによると、わたくしが最終的に2020年聴いた時間は1,111時間、アーティストは926人。ぶっちぎりで一位はSuchmos、57時間。)

そこでBTSを初めてちゃんと聴いた。

ちょっと好きになった。

もともとオタク気質があるから何度も歌を聴いたし、MVを確認してすぐにメンバーの名前を覚えたし、YouTubeで色々見たり、歌詞やファンの方のブログを検索して読んだりもした。

検索していくうちにdynamiteとLife Goes Onという楽曲が2020年に発表された経緯についての記事をみつけた。わたしとほとんど年の離れていない彼らが、世界中のファンに夢を与えているだけでなく、新曲を通してこの変わってしまった世界で生きるみんなに寄り添い励ましていることに感動し、本気で好きになった。実際、dynamiteのMVは見ているだけで元気が出る。

そして、紆余曲折あり、わたしにジミンちゃんという"推し"が誕生した。

 

人生に良い事なんて全然ないって思っていた2020年の終わりに、そして清々しい気持ちにもならないこの新しい年の始まりに、BTSとジミンちゃんはやってきてくれた。

何かを必死に好きになって追いかけることなんて、大人になってからほとんど無かった。

そばにいる人以外から嬉しい気持ちをもらうことなんて無かった。

わたしの人生に良いことがたとえなかったとしても、"推し"が笑顔で生きていることがこんなに素晴らしいということ、そしてそれは既に幸福を人生に与えてくれているということ、それを改めて教えてくれたジミンちゃん。ありがとう。

何度も何度もBEを聴いて感動している。

 

2021年はBTSを生きがいに頑張って生きていく。

 

僕たちはいつか墓となり土に戻るだろう

 

今朝、地震の夢をみた。

 

去年の今頃、震度6の地震が来たのは夢じゃない。たしかあれは午前4時よりちょっと前のことで、大きく揺れ始めた時は夢だと思っていた。

壁にかけていた時計が落ちて時間が止まって、そのあとに停電して、あぁこれは夢ではなかったのかと実感した。

停電したこと以外に困ったことは何一つなくて、いつも通り仕事をしたし、被害の大きかった町で人が亡くなった話はどこか別世界の話に思えた。それなのに数日間は怖くて1人で眠れなかったので犬と寝ていた。

 

それからさらに時間が経って元気になった頃、自転車で駅に行く途中、横から出てきたランクルとぶつかって転んだ。痛くなかったからそのまま仕事に行ったら、着替えてる時にめちゃくちゃ内出血していることに気づいて急に痛くなってきた。

人って簡単に怪我するじゃん!って初めて思った。保険金が出るというので、大した怪我でもなかったけれど3週間病院に通って内服薬と貼付薬をもらった。

健康なのでいつの間にか綺麗に治っていた。

 

地震があって怖かった日があったことも、事故にあって怪我をして痛かった日があったことも、生きていたらすっかり忘れてしまう。あんなに大きな出来事のように感じていたのに。

それと同じところに並べちゃいけないけど、失恋した日に大泣きしてもう生きていけないと思っていたのに、何故か普通に生きてきたし、今年は全然その人のことを考えなくなったし、人ってぜんぜん丈夫じゃん。それに代わりなんていないって思っていても、そのポジションに収まる別人がいるんだから怖い。怖すぎる。

生きていたら数えきれない出来事が起きて、たくさんの人と出会ってそのうちの何人かと親しくなる。一つ一つのことを深く考えているのが馬鹿らしくなってしまう。だけどそれは、今日まで生きていたからだ。明日があるって信じているからだ。

もしかしたら今日食べるご飯が最後で、今日話すことが最後で、聴く音楽が最後で、読む漫画が最後で、煙草に火をつけるのが最後で、目を閉じて眠るのが最後かもしれない。

明日はあるってなんだか分からないけど自信がある。でも1ヶ月後はどうだろうか、というのはいつもある。だからずっと先の約束をするのが苦手だ。

ずっと早く死にたいって思ってる。

なのに、人生は明日終わってもおかしくないのに全然終わる気配がないし、終わらないって思い込んでいる。1ヶ月後も、1年後も生きてしまっているだろうって。ハチャメチャに怒ったり泣いたり喜んだりしても、その感情が薄くなってしまうし、そんな特別な日より普通に仕事をして生活をするだけの日が圧倒的に多いから、未来に楽しみが欲しくなっちゃう。矛盾だらけの人生だ。

どんだけ明日があるか分からない、ひとって簡単に怪我するし死ねるんだって、思い知らされたところで、馬鹿だから信じないんだ。自分にはまだ関係ないって。

アー 明日も、来月も、来年も生きていたい。まだ、死ぬのはもうちょっと先に。まだやりたいことあるし。後悔しない生き方なんてあるのかな、無さそうだな。あの時ああしてればよかったってあと何回後悔するんだろう、大事な時こそ明日はないかもって思いたい。

 

明日は実家の犬に会いに行く。地震の夢をみたから。明日はあるってまた信じてる、ばか。でも人生の諸事情により明日です。