明日が来なければいいのに

今君に素晴らしい世界が見えますか

運命の人は3人いるんだって

 

って友達が言ってた。

3人って、それが恋愛に限る話だとしたら、1人は結ばれてあとの2人はどうなるの?その2人にもまた自分以外に別の2人がいて誰かを選ぶってこと?って今になってモヤモヤしてきた。

 

神様がいたらいいなって思うから、神社が好き。道の駅のスタンプみたいな軽い気持ちで神様のサイン(御朱印)集めてさ、お賽銭入れて長ーい長ーいお願いごとをして、今日もお守りを買った。

そしておみくじを引いたんだけど、なんていうか今の自分に当てはまらないなと思うと途端に興味がなくなるっていうか、当たってないよこれ!って急に思ったの。これからのことを占ってるんだから、今の話をしたってしょうがないのに、明日も明後日も、来月も、来年だっていま信じてるものがずっと変わらないって思い込んでるから、決めてることがある時はおみくじを引くのやめようかなって思っちゃった。そして今思ったけどおみくじの値段って消費税5%の頃から100〜200円で増税関係ないね。

何か占いする時は、自分が決めたことを後押ししてくれる答えを望んでいる。違うこと言われると落ち込む。間違えてないって確証がほしくても、人生は誰にもわからなくて、結果が出ても間違えたかどうかがハッキリ分からないことが山ほどある。じゃあ占いなんていらなくない?って話だし、だいたい人から何言われても自分の意見通してんだよみんな。そういうものなのだ。どうして正解(ほかの人の意見)を求めるのかというと、それはまだわたしの研究で明らかにはなっていないけど、たぶん、義務教育では答えがひとつしかないものばかり習ってきたからだと思う。こうあるべきだという答えをみんな探すくせがついてるんだね。それで問題解いたあとの答え合わせ的なノリ、そういうことにしておきました。とりあえず。

 

それで運命の人の話に戻るけど、運命の人ってなんだよって思いませんか?めちゃくちゃ疑問符出るよなぁ??

わたしさ、インターネットがない時代に生まれてたら終わってたよマジで。インターネットが無かったら、美味しいものも綺麗な景色も良い音楽も話が合う人を見つけるのも、限られていたということではないか。この辺にそんな良いものあると思う?びっくりするくらい何もないんだよ。幻滅することばかりだけど、ここ以外を知らないから ここで生きてここで死ぬしかないって思ってたはずだ。最悪な人生になるところだったわ、危な。ここより楽しい場所があるから出ていこって知ることが出来る時代でよかったな。

で、インターネットがなかったら、このへんのじじいの中からしょうもない運命の人を探してたわけ??って思うじゃん。あのなぁ運命の人とかかっこつけてるけど、人間はよく会う人を好きになるんだから出会った中から選んでんだよ運命もクソもあるかボケって。だから自分の行動範囲を広げて出会う人(分母)が増えたら、この辺の人よりも良い人がいるかもしれない。しかし分母が増えた分だけまた探すのも大変な話で、じゃあやっぱり数多の人間の中から見つけて仲良くなれるのだったら運命の人っていうのは言い過ぎでもないのだろうか。

 

今まで自分が好きになった人と上手くいったことはないけど 付き合いたいって思った人と付き合ったらすごく楽しいって、話してくれた。幸せそうでいいなと思った。

あるあるな話だけど、自分は好きじゃないけど 付き合おうって言われたから付き合ってみるっていうのは、結局のところ好きになれないで終わるのだ。わたしだけじゃなかった。最初に出会った時からきっと決まってるよねって話をした、たぶんそう。それで自分はこういう人が良くて、こういうのはダメだっていうのが色んな人といるとわかってくる。自分を好きになってくれた人を好きになれないことは悪いことではないけど、そうやって好きとか嫌いとかが分かるようになるまでに何人傷つけたのだろうか とも思う。

自分自身をすごく自分勝手だなと思うし、でも世の中の人たちってだいたいそんな感じのような気もするけど、友達が今幸せならそれでいいんじゃないかなって思うわけで全然相手の不幸を同情したことない。わたしの好きな友達が幸せになるほうをいつも選んでくれと思う。上手く言えないけど 誰かの不幸の上に幸せは成り立つのはもうしょうがないことで、誰かのなりたかったなにかにみんなそれぞれなっている。めちゃくちゃ冷たいよなあ、わたし。市内で1番優しい自信あったけど、そんなでもねえな優しくねえなって気づいた。結局じぶんの関係ある人の外側になんて普段は目が向かなくて、そっち側は部外者だから幸せも不幸せも知らね〜って話になる。みんなそういうもの?

去年のブログ読み返してたら、全員に大切な人がいて人生あるんだよな〜みたいなこと書いてた。そりゃそうだ。そういうの忘れがちだな。全人類に気を配るなんてできないけど、"自分の関心のある人に関わってる人"くらいまでのことは考えられる人間になりたいなって思った。自分が直接関わってないと他人のことなんてピントが合わないし、そこにピントを合わせて大事なところを疎かにしちゃ意味が無いから、ぼやけてても視界に入れておく くらいがいいのかなぁ。自分に何が出来るわけでもないけど。というか関係ない人間がなにかしようとする方が気持ち悪いから、やっぱこれでいいです。みんなそれぞれに関心のある人がいるんだからそこでやりくりしていくはずで、他人じゃなくてその人に何かをしてもらいたいって思うじゃん。だからわたしが自分を責める必要もなかったな。それでもやっぱり見てる場所が狭かったなとは反省するが。人間多すぎなんだな、それが悪い。そう。

 

夜中から書き始めて寝落ちして、2時間おきに中途覚醒してまだ書きたいことあったけどもう終わりにする。結局書いてて多少は意味が分かるが全体的にわからないブログなったな。運命の人が3人って結局なんなんだろうな。

ていうか最近ほんと中途覚醒多いし眠り浅いせいで夢ばかり見て疲れる、さっきもよくわからない夢見てた。つらみ。

君の大丈夫になりたい

 

ようやく、「天気の子」をみにいきました。

本当に本当に新海誠作品が好きで、2017年に東京の国立新美術館まで新海誠展を見に行ったのに、公開から2ヶ月経って、ようやく。オタクの腰は重い。

 

結論から言うと、「君の名は。」の方が好きだった。でも「天気の子」がダメという話ではなく、それとこれは全くの別ジャンルとして捉えた方が良いと思います。「君の名は。」のような作品を期待してみると、裏切られた気持ちになるかもしれない。ちょっとなりました。勝手に期待しておいてそれは無いだろという話である。オタクはいつも自分勝手。

 

 

※ネタバレあります

 

 

まず良かったところは、相変わらずの風景の美しさ。一番好きなのは、帆高がフェリーに乗って初めて東京に来たシーン。降りるちょっと前のシーンで、海から東京の夜景がみえる。たぶん予告編でもあったと思うけど、ここがいちばん美しい。ほんと少しの時間のシーンなんだけど。それから、神宮外苑花火大会のシーンだなあ。綺麗すぎて泣いちゃった。作品全体の雨の描写はさすがと言わざるを得ないですね。言の葉の庭を思い出したりもした。

シーン別の好きなところは、帆高が東京に来る前の雨の中自転車で走っているところ、陽菜に東京に来た理由を話して陽菜がそれ以上なにも突っ込まずに頷いていたところ、ホテルで消えかかっている陽菜に指輪を渡してプロポーズしたところ。空から指輪が降ってきたところ。

じゃあ次にいらないなと思った設定。帆高が拳銃を拾って誤って発砲するの、必要だろうか。絶対にいらないと思うのはわたしだけ?そして陽菜が18じゃなくて15歳だっていうのも完全にいらない話で、警察に追われなくてもこの世界の話は成り立ったし、「君の名は。」のように"運命"としてこの出来事が起こったというように話を持っていったほうが感動できたと思う。愛にできることはまだあるかい ではない。まず法に触れないところからはじめてくれ、という気持ち。

地味に感動したのは「君の名は。」の登場人物が東京で生きている描写があったことなんだけど、でもあの"運命"の出来事があったあとに東京が水没ってどうなんだろうとも思いませんか。三葉たちの生活が…!って思っちゃった。瀧くんのおばあちゃんが「江戸はもともと海だった」みたいな話をしていたけど、三葉のおばあちゃんの結びの話のようなありがたさは無くて、もともとこの世界はこうだったって言われても全然美談にならない。そしてなんで東京だけなんだ?という疑問も。設定がよく分からない、小説読めば解決するのかな。

3年間雨が降り続けて、街が水没するっていうのは夢のまた夢のような話な気がするけど、ついこの間東京に行った時台風で 有り得ないくらい雨が降って窓が壊れるんじゃないかというくらい風が吹いていたのを思い出して、これは作り話なのか今後起きることを予想しているのか境界線が曖昧になっていく気持ちだった。神様とかそういうの、結構ほんとうにあったらいいなって思う質だから設定としてはすごく好き。

 

世界はいつものように、昨日と変わらない今日だった。でも自分たちだけは、昨日と全然違う今日を生きていた。本当はみんなそうなのかもしれない、他人には見えなくて自分にだけは見える昨日と違う今日があって最高だったり最悪だったり。そういうことを繰り返して歳をとっていく。まあそういうことにしておきましょうという感じでした。

僕たちはいつか墓となり土に戻るだろう

 

今朝、地震の夢をみた。

 

去年の今頃、震度6の地震が来たのは夢じゃない。たしかあれは午前4時よりちょっと前のことで、大きく揺れ始めた時は夢だと思っていた。

壁にかけていた時計が落ちて時間が止まって、そのあとに停電して、あぁこれは夢ではなかったのかと実感した。

停電したこと以外に困ったことは何一つなくて、いつも通り仕事をしたし、被害の大きかった町で人が亡くなった話はどこか別世界の話に思えた。それなのに数日間は怖くて1人で眠れなかったので犬と寝ていた。

 

それからさらに時間が経って元気になった頃、自転車で駅に行く途中、横から出てきたランクルとぶつかって転んだ。痛くなかったからそのまま仕事に行ったら、着替えてる時にめちゃくちゃ内出血していることに気づいて急に痛くなってきた。

人って簡単に怪我するじゃん!って初めて思った。保険金が出るというので、大した怪我でもなかったけれど3週間病院に通って内服薬と貼付薬をもらった。

健康なのでいつの間にか綺麗に治っていた。

 

地震があって怖かった日があったことも、事故にあって怪我をして痛かった日があったことも、生きていたらすっかり忘れてしまう。あんなに大きな出来事のように感じていたのに。

それと同じところに並べちゃいけないけど、失恋した日に大泣きしてもう生きていけないと思っていたのに、何故か普通に生きてきたし、今年は全然その人のことを考えなくなったし、人ってぜんぜん丈夫じゃん。それに代わりなんていないって思っていても、そのポジションに収まる別人がいるんだから怖い。怖すぎる。

生きていたら数えきれない出来事が起きて、たくさんの人と出会ってそのうちの何人かと親しくなる。一つ一つのことを深く考えているのが馬鹿らしくなってしまう。だけどそれは、今日まで生きていたからだ。明日があるって信じているからだ。

もしかしたら今日食べるご飯が最後で、今日話すことが最後で、聴く音楽が最後で、読む漫画が最後で、煙草に火をつけるのが最後で、目を閉じて眠るのが最後かもしれない。

明日はあるってなんだか分からないけど自信がある。でも1ヶ月後はどうだろうか、というのはいつもある。だからずっと先の約束をするのが苦手だ。

ずっと早く死にたいって思ってる。

なのに、人生は明日終わってもおかしくないのに全然終わる気配がないし、終わらないって思い込んでいる。1ヶ月後も、1年後も生きてしまっているだろうって。ハチャメチャに怒ったり泣いたり喜んだりしても、その感情が薄くなってしまうし、そんな特別な日より普通に仕事をして生活をするだけの日が圧倒的に多いから、未来に楽しみが欲しくなっちゃう。矛盾だらけの人生だ。

どんだけ明日があるか分からない、ひとって簡単に怪我するし死ねるんだって、思い知らされたところで、馬鹿だから信じないんだ。自分にはまだ関係ないって。

アー 明日も、来月も、来年も生きていたい。まだ、死ぬのはもうちょっと先に。まだやりたいことあるし。後悔しない生き方なんてあるのかな、無さそうだな。あの時ああしてればよかったってあと何回後悔するんだろう、大事な時こそ明日はないかもって思いたい。

 

明日は実家の犬に会いに行く。地震の夢をみたから。明日はあるってまた信じてる、ばか。でも人生の諸事情により明日です。

夜間飛行の続きは夢の中

 

3年経ったらこの職場をやめようってずっと、2年前の4月に入った時からずーっと思っていた。やめたらどこへ行くかとか、何をするかとか、そんなことは大して考えてなかった。とにかくこんな町から出ていきたいという一心だった。

オラこんな村いやだ。たすけてください。

それから夢はころころ転がって、看護師を辞めたくなって、わたしは可愛いからカフェの店員さんをやってみたくなって、どうせ出ていくなら中学生の頃から憧れていた東京がいいなと思うようになって、だけどわたしの人生に死って切り離せないんだって気づいて結局看護師は続けることとなった。完全に死に呪われている。

人はやがて死ぬ。

 

 

先日面接を受けた東京の病院の内定が確定した。

 

観光地じゃないところはこれまでも歩いてきたけど、住んだらどう生活するのかって考えて歩いたことは無かった。

ここに住んだらあのお店で買い物をして、勉強するときはここかな、夜中にお腹がすいたらこのお店に来てもいいな、とか。歩いている人の顔は穏やかで、歩行速度はそんなに速くない。セミがうるさい。駅前は喫煙できないんだ、そっちのお店には喫煙席がある。ラーメン屋さんが多い。カレー屋さんがある。隣の駅で降りたらこんな感じなのか。こっちの駅前よりあっちの駅前の方がたのしい。プリクラはここで撮ることができる。

そういう生活の想像の登場人物はわたししかいない。

この街に引っ越してきたら、全員知らねえ人間だった。そうだったなあ。うん、そりゃそうだ。

 

まさか東京に引っ越すことが決まるなんて思いもしなかった。

これまで東京に住みたいなって話していたことが冗談のつもりってわけでもないけど、どうせ自分は北海道から出られない オチなんだろうナァとどこかで思っていた。気軽に転職サイトに登録して、思ったままにこんな所で働きたいんですけどーつって、ぼんやりとした夢を話す感覚でまわりに来年東京イコッカナ〜と思ってて…なんて話をしていたら、あれよあれよと決まってしまった。

自分って小さくて平凡に埋もれる田舎の人間だと思ってたら、どうやら違ったらしい。田舎じゃなくて都会で埋もれる運命になった。わたしが、いいんですか?っていう気持ちで、まだ夢を見ている気分。

でもあんなにおっきい街で、今住んでいるところの人口の倍の倍の倍の……人間たちの中でどうやって生きていくのか見当もつかない。全員他人だと思うと冷や汗が出てくる。わたしの名前を覚えて呼んでくれる人がいるのか、友達はできるのか、彼氏はできるのか、自分の帰る家だって認識できるようになるのか、住人として景色に馴染めるのか。

新しい場所で生活を始める時、どんな感じだったっけ。

同じところにずっと居るのが苦手で、高校も看護学校も知り合いがいないところに行った。いつも知らねえ人間だらけの中で1からやってきた。それでもいつも帰る家はちゃんとあって、変わらないお母さんとお父さんが待っていてくれた。大人になってからは遠くに離れて住む友達が夜中に車を飛ばして会いに来てくれてたり、仕事帰りにいつもの先輩といつもの決まったチェーン店で食べるご飯はなぜか世界で1番美味しかったり、近所の川辺でひとりで飲むお酒も美味しかった。美味しかった話をしたいわけじゃない。もう少し聞いて。

つまり、つまりなんなのかと言うと〜え〜〜っと、ブレない場所というか人というか、そういう所がこれまではあったんだけど、もう無くなるじゃん。怖いな〜って、宇宙に放り出される気持ち。どう考えても北海道のほうが東京より広いし野生動物みんなデカくて怖くて試される大地なんだけど、東京って漠然とした宇宙感ないですか?ブラックホールか??つかまるところないから簡単に吸い込まれるし、ブラックホール出現しなくても無重力だからちょんって押されたらどこまでも飛ばされる。こわすぎ。

なんの話だろうってみんな思い始めてる。

わたしも思う。宇宙は怖い。

そうやって考えながら書いていたら寝ていた。目が覚めなければよかった。今夜はこんなことの繰りかえしだ。そんな夜をこれからも何回も繰り返して年老いていくのか。ふ〜ん、なんのために生まれたのか意味わからん。たぶん東京に引っ越すため。そんなわけはない。でも東京に行く。

東京に引っ越したら、したいことたくさんある。わたし以外知ってる登場人物いないって言ったけどあれ嘘。たのしいことは人に全部は言わない主義。ほとんど書いてみんなに頭の中パカーって見せてるけど、1ミリくらいは内緒にしてる事あるよ。自分だけが知っていたいことだって世の中にはある。きも、独り占めすんな。

このブログのことだって5日経てば何書いていたか忘れる。内緒にしてたらどんどん忘れてしまうような、気がする。声に出したり、文字にしておかないと、忘れる。わすれたら無かったことになるわけじゃないけど、寂しいね。この街のことも引っ越したら忘れていくのだろう。ちょっと寂しいなって思った。

あと213回くらい寝ておきたら東京都民になってる。

おやすみ。

あと212回くらい。忘れながらでも新しいことを知りながら死に向かっていく。

宝くじ20億円当選した

 

毎日仕事で嫌なことされて自分がこんなに辛くて誰もわかってくれなくてだから仕事を辞めたいでもひどいこと言われすぎてカチンときてやっぱり負けね〜って思うから今はもう鬱じゃないから仕事大丈夫だと思う

会えばどこで息継ぎしてるんだって思うくらい早口に捲し立ててそんな話ばかりするようになった同期は、もともと感情の起伏が激しくて、そこがわたしと違って見ていて楽しいから好きだった。コロコロ変わる感情をそのまま出すってどんなに気持ち良いだろうか。

普通は、とわたしは切り出す。

普通は、勤務時間中に嫌なことがあったからって病棟で泣きわめく人はいないし、同僚にブチ切れて理不尽なことや傷つくことを言う先輩はそんなに沢山いないよ。その病棟はおかしいし、あなたももとの性格よりも感情の振り幅が大きくなっているから認めたくないと思うけど心療内科に行った方がいいと思う。泣いたり怒鳴ったりするのが当たり前の環境に慣れてるだけで、普通はみんな仕事中に思ったままに爆発しないよ。辞めるって言ってるけど爆発しても許される場所を心地よいと思ってるんだよ。本当に辞める気ないよ。本当にどうにかしたいなら辞めるのか、せめて心療内科に行くべきなんだよ。

わたしは息継ぎをちゃんとしながら話す。食べかけのオムカレーから熱気が失われていく。

そうなの?と、そうなの?って1ミリも思っていない顔で聞かれるとこんなにぶん殴りたくなるんだなって人生で初めて考えたりした。

例えば、本当に仕事を辞める気がお互いにない状態であれば、同期のこのマシンガンのように止まらない職場への不満とそれに伴う起伏の激しい感情を受け止めることが出来ただろうか。

わたしは今月と来月に東京へ行く予定がある。

面接受けに行ってくるんだよね、と自分でもどんなテンションだよと思うほど落ち着いた声で話す。

へぇ〜、いいな〜。

皿の上のオムレツから目を離さずに綺麗に一口分スプーンですくってそれを口へ入れる様子を見て、あぁ今タバコがあれば良かったのにと思った。

帰りは大雨だったから、タクシーに乗って帰った。わたし達は同じアパートに住んでいるからもう話したくないなと思っても、尚もコロコロと表情や話題を変えて話す同期を横目にウンウンと頷き続けねばならない。

わたしは好きだった。まるで知らない生物を見ているかのような気持ちにさせてくれるこの子の人生を見ていたいと思っていた。もし今ここに20億円あったらこいつを救ってやれるだろうか。お金ならあるから仕事を辞めろ、そんなふうに言えたとして。

こいつは仕事を辞めるか?

辞めねえんだよなあ〜と顔面に浮き出るように願った。わたしの顔を見てほしい。今すっごく楽しくない表情をしてるのを、顔面に浮き出てるはずの文字を、見てほしい。

 

 

 

人間はたくさんいる。知っているひとより知らないひとのほうがたくさんいる。不思議なほどたくさんいる。

昨日は好きだったのに今日は好きじゃないこともあるし、今日は憎いのに明日は愛しさに変わってるかもしれないし、今月はまだ知り合ってないけど来月に知り合うかもしれないし、昨日も今日も大好きで明日も明後日も大好きでたまらない不変のものもあるかもしれない。一生交わることがないという不変もあるだろう。

できるだけたくさんの人を知りたい、と思ったことは不思議とない。だけど人生は人を知ることの連続だ。自分が選んでいるような気もするし、神様に駒を動かすように操作されているような気もする。

人生でその瞬間に深く仲良くできる人の数には決まりがあると思っていて(イメージとしては手持ちのポケモンみたいな感じです)、それは人それぞれで、例えばわたしはたぶん常時5人くらい。だから友達が少ないって言ってるけど、これ以上は人間関係の管理が出来ないので無理なのだ。1人失えば必ず新しい1人に出会う。そんなふうに優しく世界はできている。

手持ちのポケモンはみんな状況に応じて入れ替える。それは当たり前に行われることだ。違法なことではないのだから。

わたしは最初の御三家は唯一無二の相棒だから手持ちから外すことは無い。わりと序盤で捕まえたお気に入りのポケモンも四天王戦まで手持ちにずっといる。殿堂入りした後にも旅は続く。こいつだけは捕まえたいっていうポケモンマスターボールで捕獲して、ちゃっかり手持ちに入れたりするのはきっとポケモントレーナーならあるはず。

ちょっと寂しいけど、たぶんわたしの手持ちのポケモンも入れ替わりました。この間新しいポケモンマスターボールで捕まえた。マスターボールのつもりだから、ちゃんと捕まえれたって思いたい。するりとどこかに行ってしまわないように。

実は、人間にはマスターボールは効果がない。人間には関係に名前をつけることで仲良くする理由を明確にすることが効果的だ。

わたしには名前をつけるのが難しいけどね。いつか名前をつけたいし、わたしにも名前をつけてほしい。そんなんじゃ待ってる間にまた手持ちが入れ替わってしまうかもしれないけれど。もうしばらくは、手持ちでいたいんだ。

何の話だろう。

わたしの妄想かな。

夏が終わって秋が来ても、冬が来ても、そして来年の春が来ても、変わらないものってあるのだろうか。

変わらないものなんてないってあの子を見て思ったくせに。楽しい時はいつだって不変だと信じているし、不変を願う。でも今度こそは違うかもしれない、ずっと仲良くできるかもしれない、馬鹿だから何度でもそう思うよ。今度こそは。きっと。

これは妄想じゃない。

現実の話。

もうすぐ夏が終わるよ。

24歳になった

 

わたしは自分が夏生まれだから、というのを差し引いたとしても、夏がとにかくあらゆるものの中で一番好き。

花が綺麗に咲いて、痛いほどの日差しで日焼けしてみんな健康的な色になって、水が冷たいことに喜べて、生ぬるい夜が楽しくて仕方なくて、とにかく外に出て何かをしたくなるような毎日。ただ暑いというだけで、笑顔になるくらいに夏が本当に大好きだ。

 

自分の誕生日が特別な日じゃなくなったのは、高校を卒業したくらいからだろうか。誰かに祝ってもらうことがだんだん無くなって、でも大人になればある程度はそういうものなのかもしれない。

誕生日当日をどう過ごすかというよりも、何歳になったという事実の方がよっぽど大問題なのはもうずっと変わりない。

しょうもないことだと思うけど、いつまでも若く(可愛く)はいられないという事実はわたしを苦しめる。歳を重ねればその分だけ深みが出るというのは、全員に共通することではない。大抵の人は若さには勝てないのだ。

悲しいけど、28歳の友達が婚活に勤しんでいることを笑える立場じゃなくありつつあるのは、もう認めざるを得ない。

親は、結婚をした方がいいと言う。友達もみんないつか結婚することを夢見ている。そんな人たちをそういうものなのかと眺めて、ひとり置いていかれている。わたしだけずっと20歳くらいで止まっている。別に結婚しなくたって幸せでいられるし、とか、やりたいことたくさんあるし、とか。

20歳も24歳も長い人生で見たらきっとそんなに変わりはないのに。でも4年前の夏と、今年の夏はやっぱり違う。わたしの周りにいる人も違うし、わたしが人生で大切だと思うことも違うし、将来の夢も違うし、お気に入りの服も違う。うちの犬もすっかりおじいちゃんだ。

 

わたしが気にかけていた患者さんが亡くなった日に、わたしは好きでもない人と遊んでいた。こんなことしてる場合じゃないって内心めちゃくちゃ焦っていたのは本当で、その嫌な予感は見事に的中して、暫く自分を責めた。いや、二週間経ったいまでも心臓がゾワゾワする気分がある。

きっとその患者さんだって24歳の夏は、誰かが死ぬことを考えたりせずに遊んでいたはずだと自分に言い聞かせても、後悔のほうが勝ってしまう。わたしの人生はわたしだけのもので、誰かの過去や未来と比べられなくて、誰かにとっての誰かの命の重さとわたしにとってのみんなの命の重さは全然違ってみえてる。何をしていたって、誰を好きになったって、いつも死ぬとか生きるとかそういう余計なことが出てきてしまう。わたしが遊んでようが働いていようが、他人の人生にそこまで変りないのにな。馬鹿みたいだなあ。わたしにとってはみんなは尊くても、みんなにとってのわたしはそうじゃないのになあ。

わたしにとっての問題は、いつでもどこでも誰にとってもその人の1番になれないことだ。いつもその他大勢にしかなれないこと。わたしは1人でも生きていけそうに見えると思う、たぶん。1人でも生きれるとは思うけど、わたしだって誰かにとっての1番尊い命になりたい。わたしにとってのみんながそうであるように、同じ熱量で大切だと思われたい。こいつもやがて死ぬんだと思われたい。

 

馬鹿馬鹿しいね。夏だからいいんです。夏は馬鹿になる季節。夏のせいにしたらいい。

 

24歳は23歳の続きでしかないし、25歳の前章でしかない。24歳に深い意味なんてない。何歳になってしまったということはただの数字でしかなくて、言ってしまえば昨日より今日の方が年老いてるのは事実だ。そう考えると24歳という事実ではなく毎日が最悪でしかない。

だから24歳はこうなる!とかそういう目標はない。ただひとつ敢えて言うなら、もっと人からこいつもやがて死ぬんだなと思われるように生きていこうと思います。

今日もゆっくり終わるんだ

 

髪の毛を切った。誰かの好みに合わせるためじゃなく、自分の意思で切ったのはいつぶりだろう。理由なんてものは、大してない。

ロングヘアーはとても気に入っていたし、友達からは長い方が可愛い可愛いと褒められてきた。社会人になってから辛い日も楽しい日も一緒に生きてきた(実際には死んだ細胞)君たちとはお別れなんだね。今までありがとう。

 

何かを決める時、思い切りがいい方だなと思う。例えば、6年間通っていた塾は親に相談しないで辞めてしまったし、好きになった人がパチンカスでもいいやと思ったし、休みがあれば思いつきで旅行に出るし、いきなりランニングを始めても平均タイムより速く走れるように練習するし、来年東京に引っ越すことにしたし。みんな最初はわたしが冗談を言っていると思うらしい。でもわたしは冗談で大きなことを言ったことは一度もない。意外とかっこいいところあるでしょ。

わたしは運もいいけど、なかなか筋の通った生き方をしてて偉いなと自分で思うんだよね。だからそれを曲げないし負けないで生きていきたい。

 

今日から髪の毛伸ばそう。死ぬまでは髪の毛は伸びるから、またロングに戻るのを見届けて。