生活と思想

今君に素晴らしい世界が見えますか

最近あなたの暮らしはどう

 

もうこれ以上生きれる気がしない

今すぐここで歳をとるのをやめたい

最近あなたの暮らしはどう

一体何を話して笑うの

かわいいあなたの暮らしはどう

一体何を話して笑う

忘れていく

 

 

 

 

仕事の話。

 

 

入院してきた時は、みんなまだ笑って話すことができて、美味しいご飯の話や美しい場所の話、なんてことない今日の天気や趣味の話、そういうのがみんな出来るんです。だからたくさん話をする。何かのためになる訳でもない話を。意味がひとつもない話を。

でもみんな1ヶ月かけて、あっという間に変わっていく。ごはんが食べれなくなって、どんどん痩せて顔が変わっていく。少し動くのでも辛くなって、寝ていても体のどこかが痛くて、笑う時間が減っていく。痛みを取るために薬がより強いものへ変わる頃には、寝ている時間が長くなる。静かに呼吸が止まる。

死ぬということは、そういうことなんだと改めて知る。最後まで何かを話すことができるわけじゃない。たいていはもう何も言うことができない。明日になったらって思うことが、叶わないことがたくさんある。

わたしは顔が変わっていくひとを見るのが本当は怖い。まだいてほしいと、思わずにいられない。ひとがしぬのが怖い。恐怖の連続だ、毎日。

怖くて辛くていつも悲しい。

なのに涙も出ない。

新人の頃、仲良くなった患者さんが亡くなるとトイレに行ってこっそり泣いてた。自分が看取りの場に居合わせた時は家族と一緒に泣いてしまうこともあった。

今でも朝仕事に行って、たくさん話したひとが夜中に亡くなったことを知ると涙が少し出るけど、引っ込んでしまう。仕事前に泣けないし、泣く人なんていない。そうやって心の処理をしたら、二度と涙が出ることなんてない。仕事が終わって帰る頃には、今生きてる人のことを考えて、今日の夜ご飯を考えて、美味しいご飯を食べたらへとへとになって眠る。

そしてこうして、たまに思い出す。

その頃にはもう泣きたい気持ちでも泣けない。泣けないと自分が酷い人間に思えて余計につらい。お前には心がないのかと言いたくなる。

以前読んだ、西加奈子の「i(アイ)」という本が良かった。

どんなに辛くても泣けもしない冷徹人間のくせに、お腹がすいて美味しいものをたべて眠りにつく自分を、本当に憎いと感じる時がある。

「自分の幸せを願う気持ちと、この世界の誰かを思いやる気持ちは矛盾しない」

これよりわたしにとって優しい言葉ってこの世にないなって思った。これだけでいいなって思った。

昨日ちょっと苦手な先輩に、「あなたはいるだけでほっとするようなところがある。たわいもない話を出来ること、話すことで人を笑顔にできること、それは大切なことだよ。自信を持って看護してね。」と言われた。お世辞でも嬉しかった。帰り道にちょっと泣いた。ほんのちょっと。苦手だけど、そういうところが好きって思った。

 

わたしの暮らしは辛いけど、優しさがある。

 

最近あなたの暮らしはどう。

今日も誰かを蝕む悲しみをひとは食べて大人になる

 

東京に引っ越してきて3週間経った。

引越し作業が落ち着いたらどこかへ出かけようと思ってるうちに、コロナウイルス感染拡大は深刻になったようで どこへも行けなくなってしまった。

うちにはテレビがない。もともと見る習慣がそんなに無いので、持ってこなかった。テレビでは何が報道されているのか殆どわからない。SNSでみんなが毎日喧嘩をしたり、無茶な意見を発信したり、とにかくみんな怒り狂っており冷静な情報はまともに手に入らない。そこまで真剣に情報を探している訳でもないが。

うちにはマスクがない。引っ越してくる前からすでにマスクは品切れであった。仕方がないのだ。高いお金を払ってまで欲しいとも思わない。

自分は感染しないという自信があるということは 全くなく、むしろ既に感染している気がしている。もし死ぬとしたらそれは運が悪かったと思うしかない。

わたしにとって苦しいことは、スーパーやドラッグストア以外へは出かけられないこともそうだし、新しい職場でも思ってたのと違うモヤモヤを抱えながらもヘコヘコしなくてはいけないこともそうだし、入職する前に切った髪型が似合ってないと気づいてしまったこともそうだし、つまりは日常生活の八割が苦しく気に食わないのだ。どれがひとつが納得のできるものだったり、今までと変わらないものであったのなら。少しは我慢できたのかな。どうだろう。

ゴールデンウィークが開けたら、もとの生活に戻れる?わたしが憧れた東京の生活ができる?髪の毛を似合うようにカット・カラーしてもらって、美味しいカレーを食べて、可愛い古着を買って、動物園水族館美術館をめぐり、喫茶店で本を読んで、天気のいい日は公園でパンを食べて。

転職するタイミング間違えた?

何しに来たんだろう。

持ってきた本はどれも面白い。新しい勉強もそんなに苦痛じゃない。50G使い放題でいくらでもYouTubeを見てられる。暇なんていくらでもつぶせる。

楽しいことがひとつもないって訳じゃないし、みんなだって我慢してるのはよく分かってる。でも何しに知らない土地へ来たんだろうって思ってしまう。わざわざこれまで自分が得たスキルを手放して、友人から離れたところへ来て、いまのところ3週間で得たものは無い。まだ3週間だしね、と今は言えるけど。いつまでこんな感じなのかなぁ。

とりあえず仕事の方は3ヶ月耐えればきっとそれなりの人権を得るはずなので、それまでは頑張ろうっていう見通し。でもその耐えるための休日がずーっとこんなんだったら嫌だなあ。

神様はいる。いると思う人には神様がいる。たぶんそんなことを前にも書いた気がする。なにかを決めるときはいつも自分で決めてきたから、宝くじに当たりますようにくらいの無茶なお願いくらいしか祈ったことは無い。だからこんな時も神様はいるけど、助けてくれとは思わない。現状、助かる方法なんてないのだ。宝くじに当たる方がまだ現実的な気がするよ。もし、もしも、神様がおまえを助けてやると言ったら、わたしは北海道に返してってお願いすると思う。どこにいたって出来ること(何も出来ない状態と言った方が正しいだろうか)が変わらないのなら、せめて仲の良い人達がいるところにいた方が精神的に良い。それがわたしの救いだ。この世界から助かる方法はない。

べつにコロナウイルスがどうであろうと、わたしはどの道この世界では失敗作だし、30歳で死にたいのは変わらないし、ウイルスに勝ちたいなんてちっとも思わない。

だからそんなに真剣に情報を得ようとしないし、気休めのマスクがなくても怖いと思わないのかも。でももしもわたしがウイルス保有者で、誰かに伝染したらいやだなぁとは思うよ。まあマスクがないからどうしようもないのですが。だから外出は我慢するけどね。なにこのはなし無限ループ??

コロナウイルスについて書きたかったわけじゃないんですよ。なんか思ってたのと違う生活で苦しいってこと。コロナウイルスがなければ多少なりともマシだったのは確実ではあるけど、思い切った選択だった割に微妙だなあ。そんな感想。まだ3週間ですけどね。浅いプールで溺れてるみたいなこの苦しい感じが早く終わってほしい。

春になって夏を待って深い眠りが覚めた頃に

 

長く生きていると、自分が大きく傷ついたり何かが変わるきっかけになったりしたような出来事以外は意外とあっさり忘れていたりする。ふとした拍子にそれが思い出される。きっとそうやっていかないと長くは生きられないのだろう。とくにわたしは人より忘れっぽいような気がする。出来事だけじゃなくてそのときの感情も長く持っていられない。だからこうやって残しておく必要があるし、ときどき自分で読み返して確かめなくてはいけない。

色んな人と出会って、少しでも自分と合わないなと思ったら全員さようならしてきた。それでも困ったことがなかった。残る人がほんの少しでもいたらそれで良かったし、1人でなんでも出来るようになっちゃったから寂しくもなかった。

でも確実にわたしの人生にその人たちは関わっていて、もしそのさようならしてきた誰かと今でも仲良くしていたら、きっと人生は大きく変わっていただろう。いま出会っていた人とは出会っていなかったかもしれないし、住んでいる場所も違ったかもしれないし、わたしの見た目も中身もまるで違っていたんだろうと思うとちょっと、いや、とても怖くなりませんか。勝手に想像して怖くなって考えるのをやめた。

色んな人たちとさようならしてきたおかげで友達が全然いなくて、別れた過去の恋人たちは完全に赤の他人となり行方はお互いに知らないことになっており、24歳のわたしにとって人間関係というのはここ数年で出会った今周りにいる人達がすべてだ。そのたまたま残った友達だってめちゃめちゃ仲良しかと聞かれればそういうわけでもなく、相手からすればわたしは優先順位の低い人間だということをよく分かっている。職場では頑張って仕事をするけど、単に仕事を押し付けやすい人間で好かれているのは表面上だけだということも。それでも生きていかなくてはいけない。

わたしが人を大切にするのが下手くそだから、自分を傷つけないように自分のことばかりを守ってきたから、こうなってしまったのは仕方がないことだと思う。今周りにいる人達の中でも出会えてよかったって思える人が1人でもいたら、もう十分なんだと思う。こうやって生きてきて反省して、偶然にもたくさんの人の人生に関われる仕事に就いて たくさんの人を幸せにしたいと思えるようになった今の自分がとても良い状態だと思う。そういう今の自分を否定せずに支えてくれる家族と、数少ない友達と、恋人がいたらもうそれ以上望むことはない。お金はもっと欲しいしお金があればあるほど人生は良くなっていくと思いますが…。そして大きい犬を飼えればなお良いとは思いますが…。

とにかく今がこうで良かったなぁと思う。明日のことも1ヶ月後のことも、わからないけど、でもこんな感じが穏やかに続いて少しずつ死んでいくのがわたしの夢なのかもしれません。大切な人と大きな喧嘩をしたり、辛いことがたくさんあったけど、最期はハッピーエンドでした!なんてそんな映画みたいな派手な波乱万丈は望んでいない。このまま、このまま、大切な人もわたしも悲しい気持ちにならないように。それがどれほど慎重さが必要なことだとしても。丁寧に、優しく、冷静に、サボらずやっていきたいと思います、生活。そんなことを波乱万丈な恋愛映画を見て考えたりしたんだ。喧嘩をしないと成長できないとか、仲が深まらないとか、そんなのは全部迷信だって笑ってやろう。悲しくなる言葉を使わないで生きることはできる。もう何も言わないでさようならなんて誰ともしないし、むしろどんどん人を好きになってたくさん友達作ろう。うん、そうしよう。せっかく人間になれたから。たくさんたくさん遊んでもう動けないよー!ってなってから死のう。

なんの話したかったのかまた迷子になった。生活はとても良い状態ですという報告かもしれない。悪いことなど起こらずこのまま死にたい。

2019年の旅行の話

 

毎年のことだが年末になると一年あっという間だったなあと思うけど、今年は特に早かった気がする。仕事もやることが多く、バタバタしていたからだろうか。

 

今年の全てを振り返りだすとキリがないから今日は、一番好きな旅行についてを書きます。一体何回にわたって2019年の話をするつもりなのか。わからないけど。

 

 

1月1日。年越し夜勤の休憩中に思いついて成田行きの航空券を買った。平和に夜勤を終えて仮眠することなく元旦の昼すぎに東京へ向かい、初詣ツアーをしたのが2019年の始まりだった。1月って東京でも寒いんだと知った。思い返せば、愛宕神社の出世階段を登ったから今年は仕事で色んなことをさせられたのかもしれない。並び初めは明るかったのに、お参りするころには真っ暗。東京タワーが赤く光る。1月2日、東京大神宮で赤福。甘い。配ってたカイロで暖を取る。浅草寺以外の神社は割りとスムーズにお参りできた。

 

1月の下旬に初めて神戸へ。小さめの空港が可愛い。ICOCAを買う。メリケンパークオリエンタルホテルという海沿いの高級ホテルに1人で泊まって、喫茶店や古着屋さん巡り。おしゃれな街。夜の中華街が綺麗。神戸牛ステーキがとても美味しい。ここもやはり1月は寒い。雪が降っていた。縁結び神社で神様に手紙を書いた。神様はいる。神社の人に北海道から来ましたと言ったら、色々話してくれた。内容は忘れた。一期一会。神戸のことめっちゃ好きになったからまた行きたい。

 

2月終わりに、初めて友達と飛行機に乗って旅行をした。初めての山形県銀山温泉。ここも高級な旅館。宿泊費は高かったけど、温泉街が千と千尋の神隠しの世界みたいで可愛かったので行ってよかった。2日目、赤湯ラーメン。もちもちの麺が美味しい。夜は友達が先に寝てしまったので、1人で日本酒を飲みにでかけた。顔を真っ赤にしながら美味い美味いと言った。山形は想像以上に田舎。今度は夏にレンタカーを借りて遊びたい。

 

5月は久しぶりの東京だった。原宿で美容師のお姉さんに声をかけられて嬉しくなって、お店について行ったら金髪から茶髪にされた。新宿御苑で散歩、気持ち良い暑さ。下北沢でカレーを食べて、夏の古着を買った。東京はもう、夏だった。アキバのミルクスタンドで瓶の牛乳を飲んだ。常連のおじさんたちは一気飲みするが、わたしはそうするとお腹を壊すのでチミチミ飲んだ。瓶は返却。北海道に帰ってくると、のんきにまだ春をやっていたので早く夏になりなさーい!と叱っておいた。

 

7月は、15年振りにディズニーシーへ行った。誕生日だった。オズワルドの耳をつけて、首から光るアリエルのおもちゃをぶら下げて歩く。タピオカを飲んだ。アパホテルに初めて泊まって会員カードを作らされた。次の日は日比谷公園相対性理論のライブを見た。目が悪すぎてやくしまるえつこの顔が見えない。暑い。とにかく蒸し暑い。夏。梅雨でも晴れ女パワーで雨は降らない。帰る日は博物館で恐竜の骨をみた。

 

8月もまた東京にいる。人生初めての転職活動。交通会館の地下のローヤルでタバコを吸いながら履歴書を書く。八割くらい書けたところで毎回誤字をする。何枚も書いた。途中で老夫婦が来店するが禁煙席がないと知り、帰ってゆく。来るのはサラリーマンばかり。パスタが美味かった。江戸川区。川がでかい。久しぶりのリクルートスーツは似合わない。面接をした病院は綺麗だった。まだ本当に転職する実感がない。

 

9月。横浜スタジアムSuchmos。横浜について初めて台風が来ていることを知る。めちゃくちゃ雨に濡れる。Suchmosも濡れていた。泊まったホテルの共有スペースにあるテレビで連ドラの最終回をみてるひとがいたので、知らんけど一緒に見る。床に寝っ転がって電話。面接がんばれそう。台風の暴風にビビりながら眠る。台風が去るとめちゃくちゃ晴れてかなり、だいぶ、北海道じゃ有り得ないくらい、暑い。東京の本気の夏。本命の病院の面接に行く途中で猫を撫でる。東京の猫は愛想が良い。面接後に中野ブロードウェイポケモンを捕獲。暑すぎてかき氷を食らう。散歩。台風の影響で帰りの飛行機が2時間遅れ。そんなときに限ってイヤホンが壊れる。深夜に帰宅。

 

10月は一年ぶりに福岡にいる。晴れ女なので天気予報を覆す。福岡空港ってこんな感じだったっけ、という感想。博多でもつ鍋を食べる。風邪をひいた体に染みる。北海道に比べるとだいぶ暖かい気候。一年前も思ったけど、博多は札幌よりも都会だ。2日目に初めて下関に行く。食べたことない魚の寿司。フグは想像と違う味、かなり淡白だけど嫌いじゃない。水族館ではしゃぐ。イルカショーのうしろは綺麗な海。温泉。めっちゃおっぱい大きい女の子がいる、羨ましい。初めての瓦そば、美味しい。帰る頃にはかなり体調が回復。旅行は薬。福岡への旅行は毎回駆け足すぎて満足感に欠ける。北海道から遠すぎて気軽にいけない。といいつつ、帰ってきてすぐ次に福岡へ行く予定を考える。

 

11月。飛行機に乗った話ではないけど、両親を連れて旭川へ行く。かなり雪が積もってる。旭山動物園行きのバスがぎゅうぎゅうで機嫌が悪くなる母をみて機嫌が悪なる自分。動物園に着けば機嫌が良くなる。ホッキョクグマが生き生きする寒さ。カピバラは室内に避難。ペンギンが直立して寝てる。中国人だらけ。帰りのバスでキリンを見てくるのを忘れたと言い出す母。旭川で有名なラーメン屋。おすすめが味噌だろうが構わずどこでも塩ラー。美味い。かなり古いスーパーを見学。老舗のたい焼き屋。帰りの電車の中でたい焼きを食べてしまう。もう旭川へ行くことは暫くない。もっと道内で旅行すれば良かった。寂しさ。

 

 

楽しかったことはちゃんと覚えている。毎日どんなに仕事が嫌でも、この日のためにお金を稼いでるんだなって思えた。知らない土地を歩くことはいつも新鮮で非日常を感じる反面、そこに暮らす人たちの生活を感じ愛しい気持ちになった。まだまだ行ったところがない場所へ行きたいし、食べたことないものを食べたい。今年は良い旅行がたくさんできて幸せ。来年はあんまり遠くへ行けないと思うけど、引越した場所で知らない事をたくさん知ろうと思います。

とうとう僕らの順番がやってきた

 

人が突然死ぬということについて、また最近よく考える。

 

ここ最近の病棟は、入退院を繰り返してきた患者さんが亡くなることが続いていて、その患者さんたちとは結構仲良くしてきたのでとても悲しく感じている。

入退院を繰り返すということは少しずつ悪くなっていて死へ向かっている過程だということを、今年の春にほとんど寝ていた退院支援の研修で聞いて、当たり前だけどそうだなと思ったのを いまいまになり実感している。悪くなっていっているけど、少しでも家に戻れる時間を作れるように支援することが大切だと。病院で亡くなる人は多いが、最後を自宅で迎えたいと希望する人も同様に多く存在している。わたしだって病院で死にたくない。でも結果的に少しでも長く生きるための治療を行うのなら最後は病院になってしまう。

亡くなったひとたちはそれで良かったのか、わたしには判断が付けられない。当の本人たちは話すことも出来ないほど病状が悪くなり意識を失って、そのまま眠るのと何も変わらない というように心臓を止めてしまったので。まさかこんなに早く悪くなるなんて、わたしの考えが甘かったのか、神様の気まぐれか。運命か。病気と一緒に生きると言うことは、いつかその日がくるということなのではあるがまだ大丈夫だってきっと家族も思っていただろうに。

 

そうして、また冬になるとどうも血管がブチ切れたり詰まったりする人が増えてくる。それこそこれが本当の突然の死なのだけど、本当に寝る前まで普通に話していたのにそのあとトイレに起きてぶっ倒れた、みたいな話は珍しくなく、毎日のように救急車で患者さんは運ばれてくる。自分の周りが健康に生きてる人だらけなのが不思議なくらい、人間たちがバタバタ倒れて病院に来ているという事実。健康な方がおかしいんじゃないかとさえ思えてくる。

わたしは自分がやった正しいと思うことは褒めてほしいと思う人間なので、書きますけども、お店で人が急に倒れたときに先輩と一緒に少しだけ手助けをしました。でも病院内じゃないとどうしたらいのか、はっきり言って分からなかった。初めて行った場所だったし、お酒飲んでたし余計に。じゃあもしそれが道端だったらもっと分からなかったと思うし、更には一人でいたら勇気を持って蘇生にとりかかれるだろうか と考えて怖くなった。蘇生方法を知っているのに。わたしはその程度の人間なんだな。白衣を脱いだらしょうもない人間で、本気で吐きそうなくらいに自分が嫌になって、ちょっと泣いた。お店では倒れた人の近くにいた人達は席から立つこともなく、ただ黙って見つめていた。なんと冷たい視線だろうか。お前らもいつ死んでもおかしくないというのに。でもわたしだって一人でいたらきっとそうなんだ、どうして。どうして、こんな自分がとてもきらいだよ。

ふと夏に転職活動していたある日のことを思い出す。駅前で立って時間を潰していたら、救急車が目の前に来て路地に入ろうとしているところを遠慮なく歩いていく人たちの多いこと。救急車の動きを妨げる、その意味を彼らは分かっているのか?車両進入禁止の標識が立っていた。救急車はさらにその奥へ進む必要があったようなので、わたしはその重い標識を持ち上げて道をあけた。ほかにも立っていた人はいたし、その間も救急車の前を歩いていく人たちがいた。わたしだけだった、あの瞬間に救急車を通らせようとしていたのは。お前らの人生に関係の無い人は死んでもいいということなのか。急に怒りが湧いてきて、だけど今のわたしも同じじゃんとおもって涙がぽろぽろこぼれてくる。

もし、自分と一緒にいる人が倒れたらどうする?わたしは一般的な蘇生方法を知っているけど、きっと怖くて泣いてしまってまともにできないよ。他の人に声をかけてもらって助けてもらいたい。だから、わたしがまずはそうならなくちゃいけないって思った。野次馬根性で他人の死に無関心な人間たちと同じでいたくない。だってさ、自分の知らない人にだって大切な家族や友人がいて、その人の生活があって、その人が支えているものがあって、その人の人生は他人には測りえないものなんだよ。自分と関係ないからどうでもいいって、じゃああなたの家族がどこかで倒れた時にみんなが何もしてくれなかったら 許せるの?って話。顔も覚えてない他人への怒りは、自分に対しての怒りで、八つ当たりで、わたしは本当にどうしようもないと思う。

突然死ぬって意外と当たり前にそこらじゅうで起こっていることをもっと知ってもらいたい。今日生きていたことは、実はすごいって。毎日救急車は病院にきているって。病院から患者さんがいなくなることはないって。だから蘇生しなくていいからせめて救急車の前を平気で歩いたり、倒れた人を黙って冷たい目で見つめたり、そんなことはもうやめてください。お願いします。

 

わたしが急性期看護を一旦やめて緩和ケアに行く理由の一つに、突然死は防げなくて自分の無力感がとてつもなく強いことがある。人は必ず死ぬ。だからせめて死ぬとわかっている人の最後の痛みをとって願いを叶える手伝いをしたいと思った。はじめての自分の病棟で行った緩和ケアは上手にできなくて、後悔ばかりでしばらく泣いてばかりいた。そういう時でさえ悲しんでいたのは病棟で自分だけだった。もっとちゃんと緩和ケアしたいって思ったから、そっちに行くけど、でもある意味急性期からの逃げでもある。突然死に耐えられない自分。すべての出来事を真摯に受け止めて対処しようとしても無理なのは分かっているけど。

また急性期で命と向き合いたいと思う時が来るだろうか。それはまだ分からないけど、でもきっとわたしはどんな形でもだれかの人生の命と付き合い続けるんだなと思う。もうこれは呪いだね。前世でどんだけ悪いことをしたんだろう、たくさん人を殺したのかな。

 

今日もわたしの好きな人たちが生きていたことがうれしくって愛おしくて、神様がもしもいるのなら本当にありがとうとおもう。そうやってずっと生きられないことをいつも目の当たりにさせられているから、そのいつかに怯えながら、でも、だからちゃんと大切にして生きたいと思います。

時間も、生きてることも、今当たり前にできてることも、全部有限なんだとちゃんと分かっていても普通にしていたら忘れちゃうし、わたしはわたしを大切にしてくれる人達にそういうことを甘えてしまっていると思う。連絡するとか、ちゃんと言葉にするとか、わたしは苦手なので。そういうことは大切な時がきたらでいいと思っている。大切な時っていつ?わたしはみんなからもらってばかりいる。こんなチラシの裏みたいなインターネットの掃き溜めにどれほど自分の気持ちを書いたって、わたしの好きな人たちには1ミリだって伝わらないのにね。

いつかわたしたちの有限がおわる日がくる。それは宣告されてからかもしれないし、突然かもしれない。病気じゃなくたって交通事故や頭のおかしな人に巻き込まれたり、そういうことはテレビのニュースから飛び出して自分に降りかかるかもしれない。明日が無いかもなんて思うから今が輝くとしても、怖いね。もう家から出るのやめてずっと一緒にいよう、そうしよう。

終わりがないこの話。呪われている。でも生きててよかった。

かみさまのなまえを僕らは今日知ってしまった

 

今日は職場で先輩にあたまを叩かれた。

 

そこだけ切り取るとめちゃくちゃな話になるから経緯を書くと、重症患者を受け持っていて慌ただしく過ごしている所に入院まで来たので、一緒に部屋持ちしてた先輩が全部フォローしてくれた。という流れで別の先輩に、コラー!って叩かれたんだけども。

しっかりしろという意味にしても叩かれる意味が分からないし、なんなら痛かったし。

 

親に叩かれたはことあるけど、そんなの言葉で理解できない子どもの頃の話であって大きくなってから叩かれたことなんてない。DVするような人と付き合ったこともないから、恋人にも叩かれたことがない。友達は穏やかだから、もちろんそんな事しない。

今日初めて分かったけど、ひとに叩かれると傷つく。

じぶんでいつもどこかにぶつけて出来た内出血の方が絶対痛いのに、でもしばらく叩かれたところがジンジンしてた。物理的な痛みではなさそうであった。どうして悲しいのか上手く言葉にできないけど、ただただ悲しく、そこに痛みは残っていた。

わたしはずっとずっと大切にしてもらっていたから、こういうことに上手く気持ちが追いつかないようだった。

 

なんだか突然、中学生のころに虐められていたことを思い出した。わたしが、というよりわたしがいたグループが虐められていたんだけど。

理不尽な痛みってこんな感じだっただろうか。もう10年近く前のことなので、こころはすっかり痛みを忘れてしまっていたようだ。

これは、たぶん間違えている持論なんだけど、痛みを知っている人は知らない人よりも他人を傷つけないってこと。辛かった中学生活のことのほとんどを忘れた。中学の頃のことを一緒に話す人がいないから、思い出すことも無いし。でも、痛みは忘れない方がきっといいだろう。今日思い出したよ。優しくなろうと強くなろうと思って生きてきたわけじゃないけど、そういうふうになってしまったのはあの頃があったからなんだと思う。自分がされて痛かったこと、辛かったこと、悲しかったこと、全部、他の人にはしないって。それがただしい優しさではないにしても、人を傷つけることは無いだろう。

わたしみたいじゃない人もいたから、だからこれは間違えている持論。されたことをやり返す人もいる。わたしは、みんなが優しくて傷つけ合わない世界になってほしいけどね。せめて視界に入る世界くらいはね。

だからさ、もう忘れないよ。わたしは誰のことも死ぬまで叩いたりしないよ。それはとても深く傷つくから。人を叩きたいと思ったことがないし、叩いたことないし、果たして今後叩きたくなることがあるのかも分からないけど。冗談であっても、悲しいということ。

 

その手は人を悲しませるために使ってはいけません。たいせつなひとや犬をぎゅっと抱きしめるために使ってね、人類。

美しく生きたいと思います。

 

気づけばもう11月。

今年は特に色々なことがあったけれど、紅葉した木々の葉が落ちているのを見たり、昼間でも冷たい空気に触れていると、平等に冬はやってくるのだなと厳しい気持ちになってきます。

2019年を振り返るには少し早いけれど、でも今年はすごく人生を変える1年になったと思います。自分の死生観と向き合ってこれからどのように働いていくのかを考えて、転職活動をしたというのはたぶん死ぬまで覚えているんだろうなあ。そして憧れだった東京を選んだということ。わたしの人生にとってはとても大きな出来事のように思う、案外とんとん拍子で話が進んだけれども。

もう何回も言ってきたように思うけれど、わたしは本当に周りの人に優しく育ててもらいました。育ててもらってるあいだは不満だらけだったけどね。 わたしがこういう人間になれたのは、両親、友達、優しく接してくれた大人たちのおかげなのでしょう。優しくなかった人間もたくさんいるし、そのせいで傷ついたこともたくさんあるけど、全部あわさって良い方になったからきっと運が良かったのかもしれない。

この間、久しぶりに宇宙の本を読んだ。

わけのわからないほど大きな宇宙空間にある小さな地球の中に生きていて、すったもんだやっているのがバカバカしいを通り越して怖いと思った。生きている理由とは…と、悪い癖が出て勝手に悲しくなって色んなことをぐるぐる考えたりした。

たまたま地球に生まれて、色々なことがあったけれど運良くこんな人間になったこと、それに意味をつけるとしたら、たまたまおなじ地球に生まれた人たちを幸せにすること。それくらいしか思いつきませんでした。意味というよりも、わたしがやるべきことという使命感、という表現の方がぴったりと当てはまるかもしれない。そもそも、次の仕事はそういう使命感の元に選んだことだ。わたしにしか出来ないことをやりたい、やるべきだ、と。

自分を買いかぶりすぎだな、と笑えてくる。わたしは立派な人間なんかでは無い。

どこかで読んだ話だけれど、「前世であまり良い事をしなかったから現世では人のために働いている」というものをずっと覚えている。わたしは幽霊も、輪廻転生も、信じていない。そんなものがあったら怖いから。本来なら一度の人生で挽回した方が良いとは思うけれど、前回の人生でどうしようもなくて、もし輪廻転生できたとしてそれを償える機会があるなら、それはそれでちょっと良いなと思ったんだ。もしかしたらわたしも前世はどうしようもなく悪い人間だったのかもしれない。立派な人間じゃないのは償ってるからなのかもしれない、なんてね。信じてるわけじゃないよ!

ひとを幸せにしたすぎて、1度だけ泣いたことがある。悲しいとか嬉しいとか、そういうことでもそれほど普段は泣かないのに。もしかしたら煙草の副流煙が目にしみて涙が出ただけかもしない。それは今まで書いてきた、全人類に対する使命感による幸せにしたいではなくて、たった一人の人間に対してわたしの我儘としての幸せにしてあげたい、です。そんなふうに思ったことがないから、自分にもそういう気持ちってあったんだ…と驚いた。

わたしのお母さんはよく、失敗してもいいから一度は結婚した方がいいよ、と言います。別に結婚したいとあまり思わないから聞き流してきたけれど、今ならちょっとだけ言いたいことが分かるような気がする。結婚=幸せとは一言では言えないけれど、そこに至る過程だとか、家族を持つということだとか。

ひとを幸せにするということはとても難しいように思う。

わたしは自分の気持ちをその場で整理して話すのが苦手だから、あんまり思っていることを瞬間的に口に出す事はしないけれど、生まれたてほやほやの赤ちゃんみたいな感情を拙い言葉でも伝えたいときだってある。だからわたしはその人に言いました、幸せにしたいって。もっと下手くそな日本語を使って何か言ったけど、結局のところ言いたいことは幸せにしたいというわたしの我儘で、誓いで、祈りのようなその気持ちが全てです。

幸せにしたいって心の底から思ってるよ。

ひとを幸せにするということはきっととても難しい、わたしにできるか分からない。方法もよく分からない。こんなに色んな人から大切に優しく育ててもらったのに、このザマです。全人類を愛おしく思い幸せを祈るまえに、たった一人のひとを幸せに出来ないでどうするんだと思います。

あとどのくらい生きて、あとどのくらい良いことをして徳を積んで、あとどのくらい祈れば、幸せにできるのだろう。

そう思うと、自分が地球に生まれた意味なんてどうだって良いような気さえしてくる。好きな人たちが生きている今日があることが幸福だと、推しの部屋の壁や床や天井になりたいオタクみたいなレベルのことを考えてしまうよ。わたしはとっくに幸せで、さらにはひとを幸せにしたいという贅沢なわがままを言うくらいには幸せなんだろうね。

好きな人たちが今日も生きてて本当によかった。まだ知らない人もどこかの誰かと楽しく笑って、健やかに眠る夜がちゃんと来て良かったね、と……意識してないとすーぐ博愛主義みたいなことを書き出してしまう…。全人類の幸せはわたしの力ではどうにもならなく、ただの部外者の祈りでしかない。本当にみんなが幸せでいてほしいとは思っているけど全てに関与はできないのが現実だ。だけど一人なら、わたしの力でどうにかできますか、神様。

幽霊はいないけど、神様はたぶんいる。神様がいてほしいと思う限り、ちゃんといる。

神様に幸せにしてもらうんじゃなくて、わたしが幸せにしたいっていうのはちょっと不遜かもしれないなって今思った。それでもわたしが幸せにしたいと思ってしまったので、神様許してください。

明日も明後日も、来月も、その先も、幸せにする方法を探すから生きていたい。一日でも多く幸せにしてあげたい。我儘ばっかり言ってる。

お腹すいてきたし眠くなってきた。もう一度眠ってもまた目が覚めてこの気持ちが消えませんように。