明日が来なければいいのに

今君に素晴らしい世界が見えますか

24歳になった

 

わたしは自分が夏生まれだから、というのを差し引いたとしても、夏がとにかくあらゆるものの中で一番好き。

花が綺麗に咲いて、痛いほどの日差しで日焼けしてみんな健康的な色になって、水が冷たいことに喜べて、生ぬるい夜が楽しくて仕方なくて、とにかく外に出て何かをしたくなるような毎日。ただ暑いというだけで、笑顔になるくらいに夏が本当に大好きだ。

 

自分の誕生日が特別な日じゃなくなったのは、高校を卒業したくらいからだろうか。誰かに祝ってもらうことがだんだん無くなって、でも大人になればある程度はそういうものなのかもしれない。

誕生日当日をどう過ごすかというよりも、何歳になったという事実の方がよっぽど大問題なのはもうずっと変わりない。

しょうもないことだと思うけど、いつまでも若く(可愛く)はいられないという事実はわたしを苦しめる。歳を重ねればその分だけ深みが出るというのは、全員に共通することではない。大抵の人は若さには勝てないのだ。

悲しいけど、28歳の友達が婚活に勤しんでいることを笑える立場じゃなくありつつあるのは、もう認めざるを得ない。

親は、結婚をした方がいいと言う。友達もみんないつか結婚することを夢見ている。そんな人たちをそういうものなのかと眺めて、ひとり置いていかれている。わたしだけずっと20歳くらいで止まっている。別に結婚しなくたって幸せでいられるし、とか、やりたいことたくさんあるし、とか。

20歳も24歳も長い人生で見たらきっとそんなに変わりはないのに。でも4年前の夏と、今年の夏はやっぱり違う。わたしの周りにいる人も違うし、わたしが人生で大切だと思うことも違うし、将来の夢も違うし、お気に入りの服も違う。うちの犬もすっかりおじいちゃんだ。

 

わたしが気にかけていた患者さんが亡くなった日に、わたしは好きでもない人と遊んでいた。こんなことしてる場合じゃないって内心めちゃくちゃ焦っていたのは本当で、その嫌な予感は見事に的中して、暫く自分を責めた。いや、二週間経ったいまでも心臓がゾワゾワする気分がある。

きっとその患者さんだって24歳の夏は、誰かが死ぬことを考えたりせずに遊んでいたはずだと自分に言い聞かせても、後悔のほうが勝ってしまう。わたしの人生はわたしだけのもので、誰かの過去や未来と比べられなくて、誰かにとっての誰かの命の重さとわたしにとってのみんなの命の重さは全然違ってみえてる。何をしていたって、誰を好きになったって、いつも死ぬとか生きるとかそういう余計なことが出てきてしまう。わたしが遊んでようが働いていようが、他人の人生にそこまで変りないのにな。馬鹿みたいだなあ。わたしにとってはみんなは尊くても、みんなにとってのわたしはそうじゃないのになあ。

わたしにとっての問題は、いつでもどこでも誰にとってもその人の1番になれないことだ。いつもその他大勢にしかなれないこと。わたしは1人でも生きていけそうに見えると思う、たぶん。1人でも生きれるとは思うけど、わたしだって誰かにとっての1番尊い命になりたい。わたしにとってのみんながそうであるように、同じ熱量で大切だと思われたい。こいつもやがて死ぬんだと思われたい。

 

馬鹿馬鹿しいね。夏だからいいんです。夏は馬鹿になる季節。夏のせいにしたらいい。

 

24歳は23歳の続きでしかないし、25歳の前章でしかない。24歳に深い意味なんてない。何歳になってしまったということはただの数字でしかなくて、言ってしまえば昨日より今日の方が年老いてるのは事実だ。そう考えると24歳という事実ではなく毎日が最悪でしかない。

だから24歳はこうなる!とかそういう目標はない。ただひとつ敢えて言うなら、もっと人からこいつもやがて死ぬんだなと思われるように生きていこうと思います。