明日が来なければいいのに

今君に素晴らしい世界が見えますか

お湯を沸かす音

 

いつも音楽をきいているし、音楽がないと精神が崩壊するのだろうなという予感がある。一人でいる時にいつもそばにいてくれるのは、音楽だけのような気がする。

 

今年最後の休日だった。家に帰ってただ家族と話し、犬に触り、テレビを見て寝た。起きたら買い物に行きたいと母にお願いし、2人でどうでもいい話をしながら買い物をして、回転寿司を食べた。

部屋に戻ってきて一人になって、飽きもせずいつもと同じ音楽をききながら暖房機にくっついていた。部屋の中は少しずつ暗くなり、このまま死ねたらいいのにとまた暗いことを考えていた。重い腰をあげて洗濯機をまわした。規則的に回る音が好きだなあと思う。

たまに音楽に飽きたなぁと思う時は、洗濯機の音、お湯を沸かす音、すぐそばを走る電車の音、上の階の人が浴槽の栓を抜いたであろう水が排水溝に吸い込まれる(?)音なんかを聞くと落ち着く。とくに洗濯機の音は1度スイッチを押せば長いこと聞けるのでオススメです。目がおかしくなるのではという懸念もありますが、回る洗濯物をぼんやり眺めるのも好き。(うちはドラム式です)

 

音楽がないと、耳を塞ぐ何かがないと、いつもそういう強迫観念があった。とくに通学・通勤中。いまでも一人で長い時間外にいる時は音楽がないとじっとしていられないですが…。

一人暮らしをはじめてからは家の中では自分で生活音を生み出したり、静かにしたり、そういうことが自在になった(外の音や隣人の音はどうにもできないが)。家族と暮らしてるときは自分が寝たい時や集中したいときにも構わず生活音(家族の声を含め)が騒音となっていたのです。逆もまた然り。生活音が自在なものとなったいま、彼らはわたしの精神安定に一役買っていると言える。誰かの歌声よりも確実に安らぐのは生活音。これを外できいてもイヤホン越しに周りの騒音がきこえてしまうのでダメです。家の中だけの特別な音。

 

小学生や中学生の頃、理科の授業でマッチを使うのが怖かった。そしてその火をガスバーナーにつけるのはもっと怖かった。でも火が怖いなんてことは恥ずかしくて言えなかったし、怖いからと言って使えないという程体に異常が現れることもなかった。

家庭科室のガスコンロのつまみを回して火をつけるのも、また怖いことの一つだった。家のコンロは中学生になる前には新しくなっていて、ボタンを押せば簡単に火がついた。世間はIHに移行しつつあった。

家のボタン一つで火がつくコンロを使ってお湯を沸かすのが好きだった。家族でキャンプに行った翌朝にカセットコンロでお湯を沸かすのが好きだった。火を使うのは怖かったけれど。火で温められることに安心感を得ていた。野菜や肉が焼かれることも。

一人暮らしをしている部屋にはガスコンロがない。真っ黒で冷たいIHクッキングヒーターのスイッチを押せば、そこに火はないのにお湯は沸くし野菜や肉も焼ける。嘘みたいだなぁと思う。そして寂しいなぁとも思う。われわれは火がなくても生きていく術を知ってしまったのだ。

話が少し逸れたましたが、お湯を沸かす音も好きな音のひとつ。温かい飲み物を飲む時、カップ麺を作る時、IHでお湯を沸かす。自分で買ったやかんはあまり騒がしい音で沸騰を知らせない(というか音を出しているのかさえよく分からない)ので、蓋を開けて沸騰していることを確認する。沸騰するお湯のいとおしさよ。これほど水分をいとおしく感じることもなかなかない。ぶぐぶくと小さく音を立てて震える水面。このままずっと耳をすましながら見ていたいなと思う。できればガスコンロを使いたいけれど、まあ音にはさほど変わりはないのでしょう。気持ちの問題なのだろうなと思う。

 

次引っ越す時はガスコンロの部屋がいい。でも今どきはオール電化住宅が多いし、たしかにガスコンロよりもIHクッキングヒーターの方が掃除も楽なのは言うまでもない。火を使うのはあまりにも危険だ、マッチやガスバーナーを使うのが怖かったあの時の感覚は間違えていない。人に火をつければ当たり前だが最悪死ぬ。そういう危険と隣り合わせになってまでガスコンロのある生活が欲しいか?と聞かれれば、うーんと悩む。

うーんと悩みながらわたしは火の夢を見る。カセットコンロを使って鍋パーティーしたいし、キャンプに持って行ってカップ麺つくりたい。