明日が来なければいいのに

今君に素晴らしい世界が見えますか

まるで手応えの得られぬ夜

 

わたしの人生のピークはとっくに終了している。

1番希望を持っていた時も、1番楽しかった時も、1番可愛かった時も、1番泣いた時も、何かが始まること・終わることを怯えていた時も、全部終わってしまった。あとは労働をして、心をすり減らして得たお金で行ける範囲の行きたい所へ行って食べたいものを食べて、ゆるやかに死へ向かっていくだけ。

働くことに終わりがないということは、わたしにとって死ぬまで「終わり」という区切りが存在しないように思わせる。生まれてから22年も経ったのに、人生はまだまだ続くということがとんでもなく恐ろしい。

 

いつぞやに人間が可愛いという話をした。それは他人に限った話であり、そういう可愛らしさを見ているのが楽しく愛おしいだけであり、自分の一挙一動や生き様が魅力的かどうかなんということは測りかねる。

人生における失敗や後悔していることが多いから自分を良い人間、良い人生、と肯定できないのかと聞かれると、そういう訳では無いように思う。わたしの価値を決定するのは自己評価ではなく、わたし以外の人間達によるものである。わたしは人間とあまり腹を割って話すことがないので知らないし、わたしが好意を持つ人間以外の他人からどう思われているかということにさして興味もない。だから良いとか悪いとか、そういう言葉を当てられない、というのが近い。

 

ときどき夜に自分がゲシュタルト崩壊していくような感覚になる。ほかの人間は可愛い人間として見えるのに、自分は人間なのかどうかもぼやけていく。

これからこのまま自分のことも人生の終わりがいつなのかも分からないままに、もしかするとあと60年くらい生きなければいけないかもしれないことが途方も無い。誰もそのことを不思議に思わず生きていることが、にわかには信じがたいくらいに。

 

両親が年老いてきて、更年期障害になり、年齢相応に徐々に頑固で人の話を聞かなくなってきた。わたしはわたしが知っている今のわたしのまま、もうしばらく生きていくことになるだろう。分かり合えないことが増えた。わたしと両親の人生が交わらなくなってきたのだという実感が湧いてきた。

世界一好きだと思った人と最後に言葉を交わしてから一年半が経った。もう悲しくないというと少し嘘になるけど、あの時みたいな強い気持ちがない。相手だってたぶんそう。同じ気持ちだろうと予測するには自惚れているとは思うが。人生が交わるどころかどんどん離れていくことをお互いに選んだし、間違えても再会しないように選び続けている。

好きだったバンドのメンバーがわたしと同じように時間を重ねて年老いてゆき、音楽性が変わっていく。ファン層が変わっていく。そうしてわたしから遠のいていく。

 

意図しようがしまいが、今のまま生きていくことが出来ない。毎日少しずつ崩れていることを誰も気がついていないようだし、ましてやそれについて悲しみなんかしていない。わたしだってある日突然気がつくのだ、いつの間にか変わっていたなぁと。

そういうことがあと60年間繰り返される。

気が遠くなりそうだ。

きっと自分自身さえも、毎日少しずつ細胞が生まれ変わって今のわたしが消えてしまう日が来る。気が付かないうちに。同じようで同じじゃない、わたしも、わたしの好きなあれやこれやあの人もこの人も。生きてる限り変わってしまう。

とても恐ろしく、悲しいことのように思える。

 

だから長く生きていくことを好ましい状況だと思えない。わたしは変化するものを愛でる勇気がないから、不死身になることができない。周りのすべてがわたしの知らない何かに変わる前にわたしは終わりにしたい。

 

 

 

僕は偶然君に出逢って ごく当たり前に慈しんで

夕日を迎えた さあもう笑うよ

落日 / 東京事変